歴史に学ぶ(No.5)-大量生産の反動として起きた1929年金融恐慌

 さて1929年の世界恐慌です。皆さんここだけは真剣に読んで下さい。100年に一度の問題の金融恐慌です。この時の状況ですが、アメリカでは1914年から始まり1918年に終った第1次世界大戦の後で、戦勝国ということでずっと好景気が続いていました。限りない大量生産が続けられ、遂に商品が大量に売れ残るようになってしまいました。そのために多数の企業群が倒産し始めました。そして世界金融恐慌へと進んで行きます。これは現代の自動車の売れ残り現象とよく似たところがあります。この辺が100年に一度の金融危機と言われる所以だと思います。

 この恐慌を立ち直らせるためアメリカのルーズベルト大統領は、1933年にニューディール政策を挙行しました。金融恐慌発生から4年後です。この時やったのが有名なテネシー川流域開発の公共事業の推進で、雇用対策が主たる目的でした。当時米国では、1,300万人もの失業者がおり、食料の無料配給所で列を作る人々の姿がほとんどの都市で普通に見られたと言われています。現在アメリカの失業者は、この1年間で約350万人に達したと言われています。これに対し8,000億ドル(100兆円)の程度の経済対策が打たれました。一方、日本は失業者数が250万人と予想され、それに対し44兆円の経済対策を打ちました。私にはアメリカに比べ対策の規模が小さいように思えますが、皆さんどう思われますか。

 それでは、この金融恐慌がどのようにして回復したかの顛末を見てみたいと思います。この時にも、幸いなことに救世主が現われました。1935年に米デュポン社によってナイロン繊維が開発され、各種素材として世界に広がりました。また、ベークライト、レーヨンと言った合成樹脂が日用品に多く採用され、素材革命が起きました。これがその後の好景気に繋がっていきました。このあたりも今回の金融危機で再現してもらいたいものです。私は今回も何かの産業革命が起こると予想している1人です。