世界の温暖化対応(その1)-国連の気候変動枠組条約

これまで10回に亘り、地球温暖化を考えるということで、ノーベル平和賞受賞者アル・ゴア氏の主張に対する、イギリス高等裁判所の異議申し立てについて見て来ました。ここからは、地球温暖化防止における世界レベルでの動きを、ビジネスという視点から追ってみたいと思います。

 下の歴史一覧を見て下さい。気候変動枠組条約(UNFCCC)は、今から18年前の1992年に国連において採択され、2年後の1994年に150ケ国以上の署名を得て発効しました。これを受けて、1995年に第1回締約国会議COP1が開催され、直近の2009年コペンハーゲンでのCOP15まで、毎年1回、計15回の締約国会議が開催されてきました。因みにこの1992年にアル・ゴア氏は、ベストセラーとなった「地球の掟」という本を書き著わしています。国連で気候変動枠組条約が採択されたことも、アル・ゴア氏の存在が影響していたのかも知れません。

歴史表

 COP(Conference of the Parties)とは、多国間条約に参加する締約国により開催される会議で、条約の意思決定の最高機関です。COPには、最近名古屋で開催された生物多様性枠組条約(COP10)もあり、紛らわしいのですが、ここでは、気候変動枠組条約に関する会議を指します。

国連

 最も注目されるべき会議は、1997年に京都で開催された第3回締約国会議(COP3)です。「京都議定書」を採択し、2012年までの先進国の数値目標が設定されました。また、他の国と協力して削減目標を達成するため、柔軟性措置としての京都メカニズムが認められました。

 ポスト京都の枠組みについての検討も2006年から開始され、2009年12月のCOP15では「ポスト京都議定書」が採択されるのではということで、多くの視線が集まったのも記憶に新しいところです。しかし、皆さんご承知の様に、この会議は大混乱に陥りました。現在もその延長線上あります。

 一方のアル・ゴア氏は、1995年には米国副大統領となり、1997年のCOP3に出席しました。1997年のCOP3に関しては、彼の著書「不都合な真実」の中で、「1997年、私は日本の京都で行われた国際交渉で、突破口を開く手助けをした。世界は京都で、温暖化汚染物質の抑制を目指す画期的な条約の草稿を作ったのである。しかし、帰国した私は、米国上院議会で、その条約への支持を得るための困難な戦いに直面することになった。」と書いています。
 
 アル・ゴア副大統領はこの後大統領選に出馬しますが、あのジョージ・ブッシュに敗れ、彼の夢は閉ざされてしまったのです。アメリカが地球温暖化に対して、これまで後ろ向きであったのはこの辺に原因しているようですね。

 ところで、ビジネスということでは、EUがいち早く排出権取引を実用化しました。世界の排出権市場のスタンダードを決める勢いで臨んでいます。今後とも、日本を含む各国がお手本にせざるを得ない規模に成長したと言われていますが、皆さんどう思われますか

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