東日本大震災からの教訓(その2)-「想定外」という言葉の持つ意味

 今回の東日本大震災においては、
・「想定外」の規模の大地震であったとか、
・「想定外」の大津波が発生したとか、
・福島第1原子力発電所のトラブルは「想定外」の事故であった、
という具合に、「想定外」という言葉がしばしば使われてきました。

 先日、政府の原発事故調査・検証委員会の中間報告で、畑村委員長が「人間は考える範囲を決めてしまうと、その外側について考えなくなる。事故が起こってその存在に気づく。後から全体を見れば、被害を最小にする適切な方策があったとわかるが、当時は全体像が見えず、当事者だけに責めを押し付けてはならない。」と説明していました。これは科学者も人間だから、想定をする上で限界があると言っているのであり、科学者を庇っている発言にも聞こえます。それではどうしたら良いのかということまでは言及していません。

 これとは別の機会に、三重大学の川口淳准教授の講演を聞く機会がありました。川口先生の示した定義が私自身納得しやすいと感じましたのでここで少し紹介します。先生は、これまでに発生した大災害を例に挙げて、「想定外」とは何かを問いかけます。(以下の写真はWikipediaより転載)

WTC

 まず、第1の具体例は、2001年9月11日に起きた世界貿易センターのテロ事件です。飛行機のタワーへの突入によって、あの巨大なビルが崩落してしまった訳です。しかし、ビルへの飛行機の衝突は想定の内でした。タワーが設計された30年前の時点では、飛行機のビルへの衝突は考慮されていたのです。しかし、その時の飛行機の重量や飛行機の速度は、今回のものに比べはるかに小さなものでした。すなわち、飛行機のビルへの衝突を想定はしていたものの、実際よりもずっと小さ目に見積もられていたわけです。

 この例は、想定はしていたが、その見積もりが実際とは大きく食い違っていたとする例です。想定した時の時代背景などを考えると、まさかテロが起こって飛行機でビルに突撃するとは思いもしなかったということで、これは「想定外」と看做せると思います。

阪神淡路大震災

 
 次の例は、阪神・淡路大震災です。1995年にM7.3の直下型地震が神戸を襲いました。多くの建物が崩壊しました。しかし、これらはいずれも想定内のことで、ほぼ予想通りの被害でした。問題は、地震が起こったのが明け方であったことで、家屋の倒壊により6,000人が圧死してしまったことです。死者の見積りはずっと少なく、この食い違いが大きな問題となったそうです。地震の起きる時間帯によって多くの死者が出ることは十分に想定できたはずです。従って、これは「想定外」とは言えないように思えます。

東日本大震災

 今回の東日本大震災はどうでしょうか。M9.0クラスの地震と津波の来襲は、どこまで過去に遡ぼって考えるかで、大きく答えが違って来るということです。100年に1度、1,000年に1度というように、どこまでを対象に考えて想定するかという問題です。川口先生は、ここでは2つの場合を想定して準備をしておくべきだと言われます。従って、これも「想定外」とは言えない例となります。

 確かに科学者の考えには限界があります。被害予測が発表された場合、現在想定されているものは、どういう条件での想定なのかを十分に説明されなければなりません。この説明責任は、行政にあると川口先生は言われますが、皆さんどう思われますか。

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