新世界秩序への誘い(その17)…アメリカ大陸新発見の真相

 ヨーロッパの西の端に位置するイベリア半島では、15世紀末までにキリスト教徒の国スペインとポルトガルが成立し、イベリア半島を支配しました。それまでは、イスラム教徒が支配していたので、この地をキリスト教徒が取り戻した形です。

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 1516年~1659年にかけて、スペインはハプスブルグ朝が治めます。ハプスブルグ家は、ハプスブルグ伯のルドルフが1273年にドイツ王に選出されて世にでました。当時、神聖ローマ帝国の君主も兼ねていました。1438年にアルブレヒト2世が、次いで1440年にフリードリヒ3世がドイツ王になってからは、王位をほぼ世襲することに成功し、1508年にマクシミリアン1世はローマ教皇から載冠を受けずに皇帝を名乗り始めました。

 その後、婚姻関係からハプスブルグ家は、ブルゴーニュ領ネーデルランド、ブルゴーニュ自由伯領フランシュ、スペイン王国、ナポリ王国、シチリア王国などを継承し、皇帝カール5世の下で、ヨーロッパの一大帝国を現出させました。

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 当時、ヨーロッパでは、アジア産の胡椒、香料や絹織物が、イタリア商人によって輸入され、高い値段で売られていました。この利益に目を付けた人々は、スペインやポルトガルの国王の援助を受け、直接アジアに行ける航路を求めて、探検に乗り出しました。その中、1492年にイタリア生まれのクリストファー・コロンブスがスペインの援助を受けて西インド諸島に到達しました。

 コロンブスは、後にアメリカ大陸にも到達し、これらをインドの一部だと考えていました。先住民を「インディアン」などと呼ぶ習慣はここから生まれました。現在、アメリカでは先住民を「ネイティブ・アメリカン」とも呼んでいます。

 コロンブスの素晴らしい点は、地球は球体であり、西に進めば東端に辿り着くという考えを実践した点です。

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 コロンブスの卵という言葉を皆さんご存知でしょう。新大陸発見を祝う凱旋式典で、「誰でも西へ行けば陸地にぶつかる。造作も無いことだ。」などとコロンブスの成功を妬む人々に対し、コロンブスは「誰かこの卵を机に立ててみて下さい。」と言います。誰も出来なかった後で、コロンブスは軽く卵の先を割ってから、机に立てました。「そんな方法なら誰でも出来る。」という人々に対し、コロンブスは「人のした後では造作も無いことです。」と返しました。これが「コロンブスの卵」の逸話であり、「誰でも出来る事でも、最初に実行するのは至難であり、柔軟な発想力が必要」「逆転の発想」という昔の故事で今も使われています。

 ところで、コロンブスは1492年にアメリカ大陸を発見したといわれますが、これは誤りです。コロンブスよりも以前500年前にバイキングが北アメリカにやって来ているのです。それを証明したのがマンリー・P・ホールと言う人物です。

 マンリー・P・ホールは、フリーメイスンに関する著者の中で最も秀でている1人です。1944年に出した「アメリカの秘密裡の目的」の中で彼は、過去数千年の間、旧世界はコロンブスが発見したとされる新世界をすでに知っていたことを確かめています。

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 マンリー・P・ホールは、コロンブスの遠征に要する費用を工面した家族や援助者が、薔薇十字団に傾倒していたことを明らかにし、薔薇十字団が新世界秩序の創設を望むが故に、コロンブスを西方に航海させたと主張しました。この主張が正しいことは、コロンブスが署名に用いた符号を見れば判ります。署名には、下図に示す様に、薔薇十字団が好んで用いている符号が使われています。

 一方、スコットランドのロスリン礼拝堂の石には、テンプル騎士団が用いた超自然的知識の多くが彫られていますが、ここの窓の上方の内枠を裏打ちしている材料を調べると、新世界でのみに育てられたトウモロコシやインディアンコーンである事実が判りました。

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 このロスリン礼拝堂の建設は1446年に始まりました。コロンブスが西方へ航海に出発する46年前です。これはどう説明されるのでしょうか。そうです、コロンブスが新大陸を発見したとされる時点で、すでにスコットランドの礼拝堂には新大陸の植物が使用されていたという訳です。

 更に、コロンブスの新大陸発見は誤りであるとすることへの回答は、コロンブスによって用いられた船の帆を見れば良いのです。テンプル騎士団のロゴが飾られているではありませんか。

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 これらは、コロンブスの時代よりずっと前の時代から今日まで、アメリカは常に新世界秩序の計画において、特別な地であったことを物語っていますが、皆さんどう思いますか。



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