新世界秩序への誘い(その22)…フリーメイスンの牽引車”オカルト信仰”

 今回は、秘密結社フリーメイスンの主たる牽引車となっている「オカルト信仰」について追いかけます。その前に、少し復習をしたいと思います。

 本シリーズの主たるテーマは、「新世界秩序への誘い」です。

 新世界秩序とは一体どういうものだったでしょうか?

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 新世界秩序の定義は、世界統一政府が、地球レベルでの管理社会を実現し、これが現在の主権独立国家体制に取って替わるとするものでした。




 それでは、新世界秩序の構造はどうなっていたのでしょうか?

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 それは、ロープの構造と同じで、ロープを形成する各々のコードが、政治、軍事、経済、科学、文化、宗教の各分野を形成します。中心部に存在する数本のコードにいる人々は、「新世界秩序」の究極のゴールが何であるかを知っているのですが、外層のコードにいる人々は知らされていません。要するに、「新世界秩序」なるものは、核の部分にいる一握りの人々によって支配されている世界なのです。

 新世界秩序の成立要件はどの様なものだったのでしょうか?

 それは、

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                                    でした。

 すなわち、「新世界秩序」という社会を造り上げるために、フリーメイスンなる「秘密結社」が「オカルト信仰」という隠された知識を駆使する構図に持ち込んでいるのです。

 「フリーメイスンとオカルト信仰」、この両者は、「秘密」を合言葉に上手く連携または融合しているのです。

 新世界秩序が目指す処は、今、よく言われている「グローバリーゼーション」と同じです。ただ、同じグローバリーゼーションでも、フリーメイスンという秘密結社がオカルト信仰という道具を使って、その活動を進めているところに「陰謀」めいたものを感じざるを得ません。しかも、歴史的出来事の裏側では、常にフリーメイスンが秘密裡に関与してきていることから、「陰謀が行われている」と言われても仕方がないところではないでしょうか。

 さて、既出の新世界秩序への誘い(その2)での、古代におけるエリート集団の話を思い出して下さい。

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 次の日食が何時起こるかを、一部のエリート集団のみが知っており、他の者は知らないならば、太陽を暗くすると言って脅せば、原始社会ではこのエリート集団は住民から崇められます。この様に、古代社会では、天文学的な知識を持つ者は、自らの知識を隠そうとします。そして、人々がその知識を共有した瞬間、全ての社会に対するエリート集団の力は取り去られてしまうのです。この隠された知識こそ「超自然現象」であるオカルトの原点です。

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 更に、京極夏彦氏の長編小説「魍魎(モウリョウ)の箱」の中で、このオカルトについて詳細に説明されています。この小説では、超能力探偵の榎木津、頑固刑事の木場そして古書店京極堂の店主の中禅寺秋彦が登場します。主役は、武蔵清明社の神主で、憑物を落としたり悪霊を祓ったりする祈禱師でもある中禅寺秋彦です。小説の中でオカルトは次の様に説明されています。

 オカルト自体の成立は、1,300年頃にイタリアで起こったルネッサンス以降と言われています。当初はオカルトサイエンスと呼ばれていました。このサイエンスは、科学という意味ではなく、知識という意味です。すなわち、オカルトサイエンスは「隠された知識」と訳すべきで、科学とは全く関係なしです。オカルトとは、「超自然的な知識」と良く言われますが、本来は「隠された」という意味です。超自然的、神秘的、奇跡的と考えても良いと思います。

 オカルトが文芸復興(ルネッサンス)の時期に出て来たのには訳があります。これは捨てられた知識の復興だったのです。ギリシャ、ローマ、オリエントや回教圏、そういったヨーロッパの知識体系から逸脱した知識、それが見直されました。しかし、それらは復興して直ぐにキリスト教に睨まれて、反キリストの烙印を捺されます。

 暫くの間、オカルトは反キリスト的知識の意味でした。しかし、19世紀あたりになると、エリファス・レヴィ等の手で、占星術だのカバラの降霊術だのと一緒くたにまとめられてしまうのです。結果オカルトはぐっと卑俗になり、そして折しも勃興し始めていた自然科学に敵対視されます。今度は反自然科学の烙印まで頂いてしまう訳です。こうなると、胡散臭いものは全部オカルトの箱の中に入れてしまえ、ということになるのです。

 20世紀に入ると自然科学とキリスト教あたりの反りが合わなくなって来て、こともあろうにオカルト糾弾の急先鋒であったはずのキリスト教まで、オカルトのブラックボックスに入れようとする動きまで出て来ます。いずれにしても、オカルトは都合の良い我楽多箱になり、そこら中の怪しげなものをありったけ、玉石混交入れるだけ入れて、臭いものには蓋とばかりに封印されてしまったのです。オカルトは秘されたモノです。「種も仕掛けもありません。」と口上を述べてしまった段階で、それはオカルトの箱から出さなければならないのです。

 京極氏によるオカルトの分類を下表に示します。それによれば、オカルトとは奇跡をどの様に起こすかで区分されるそうです。霊能は真オカルト、占いは準オカルト、宗教は超オカルト、超能力は脱オカルト、となるそうです。

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 オカルトは、救済を目的として活動する霊能者は、自分は神様だから奇跡を起こす力が生来備わっていると述べ、救いを求める人達を、秘密にしている独自の方法で助けます。独自の方法が他人にばれてしまった時点で、霊能者のレッテルは剥がれてしまう訳です。確かに隠された知識を有効に活用していると言えます。

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 また、営利目的で活動する占い師は、占いの理論を根拠に、お金を貰って悩んでいる人々を助けます。占いの理論を学べば誰でも同様のことを行うことができますので、オカルト特有の隠されたという意味はかなり薄まりそうです。

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 一方、信仰と布教を目的とする宗教者は、超オカルトの位置付けで、1ランク上の人々に相当します。奇跡についても、神が直接起こすと言ったり、また、自らの信仰心による修行の結果、特別な力を授かった、と主張します。

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 また、超能力者は、自ら有する超能力を駆使して奇跡を起こす人です。他の誰も自分と同じ能力を発揮することはあり得ない訳で、特に自分の能力を隠す必要もありません。これは脱オカルトの位置付けです。

 結局、オカルト信仰は、「超自然現象」を引き起こすと言われて来ましたが、オカルトを駆使する人は、どうも種や仕掛けを持っていて、それを上手く隠しているところがポイントの様です。皆さんどう思われますか。



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