若者キャリア観の変化(その3)-日本の若者に適合した組織とは

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 BLOG No.52で、日本の企業における新入社員の意識変化が多様化しつつあることを紹介しました。それによると、多様化する個人のキャリアに対する考え方は、表に示す様に4つに分けられることを示しました。すなわち、第1:階層的キャリア、第2:専門的キャリア、第3:スパイラル・キャリア、第4:変動的キャリアです。

 今回は、第3の「スパイラル・キャリア」と第4の「変動的キャリア」を取り上げます。近頃の若い人は何を考えているのか判らないと、昔流の教育で育ってきた人達は良く嘆いています。しかし、今回紹介する第3、第4のキャリアを理解すれば、ああなるほどなと思う点が多くあります。

 まず、第3の「スパイラル・キャリア」は、比較的早い段階で、経験した自身の仕事の領域を核にしつつも、その後5~10年程度ごとに新たな領域に挑戦し、より幅広いスキルや知識、能力を形成させるわけです。

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 日本で言えば、最近求められる人材像の1つとして登場しているT字型人材に相当します。それは左図に示します様にT字の縦棒に相当するコアの領域を持ちつつも、横棒に相当するスキルや知識幅を持つ人材ということになります。

 名古屋大学経済学部の西村眞教授は、このT字型人材と結び付けて「グローバル経済における人材育成」について、次の様に述べています(下図参照)。

 グローバル資本主義経済社会というのは、前資本主義、産業資本主義、ポスト産業資本主義の順に移って行くものと考えます。そして、産業資本主義の下では、利潤は労働生産性から実質賃金率を差し引いたもので表されるとします。

 1970~1980年代の日本とアメリカを比べると、日本は前資本主義の段階に、アメリカは産業資本主義の段階にありました。当時、日本はトヨタ生産方式を前面に出し、大きな労働生産性を保っていました。更に、労働者の賃金も低く、非常に大きな利潤をあげていました。一方、アメリカは、労働者の賃金はすでに上昇していますので、利潤は僅かなものでした。これが当時の日本の競争力が大きかった要因です。

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 一方、現在に目を転じてみますと、日本もポスト産業資本主義という時代に入り、利潤は差異性の創造で決まります。差異性とは、デザイン、ストーリー性、調和、共感、遊び心、生きがい、といったもので、何か人と違ったことをすることによって利潤を獲得することになります。
バブル崩壊以降の平成大不況の時代に、新しい考え方・やり方のための価値基準が求められています。つまり、前回のBLOGで紹介した「ピラミッド型組織」はもはや通用しません。「考える人」が集う「考える組織」への大転換が求められています。そのために、T字型人材、すなわち第3の「スパイラル・キャリア」が必要だという訳です。

 第4の「変動的キャリア」、すなわち個人が自身のやりがいや新たな経験の追求を優先し、積極的に仕事領域の変更や転職を繰り返す考え方は、現段階では日本で浸透していません。
しかしながら、日本でこの考え方を受け入れる基盤が必ずしもないわけではなく、長年続いた深刻な経済状況の後に訪れた最近の景況感の回復期において、若年層を中心にこのキャリア観が広まる可能性がありそうです。

 確かに最近の海外留学生のインターンシップはこの「変動的キャリア」を求めています。以前は自分の将来を決める職種でインターンシップをやるという目的が大部分でしたが、今は、色々な職種を積極的に経験して、総合的に判断して行こうというものに変わって来ています。海外の大学のインターンシップに与える単位は、より多くの職種を経験した学生にはより有利な単位が与えられているようです。今後、日本の大学も変わって行くものと思われます。

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 また、最近話題になっている教育に、持続的発展のための教育(ESD:Educational for Sustainable Development)があります。

 「持続可能な社会の構築」とはどの様なものかと言いますと、 「将来の世代が豊かな生活を送るための要求を満たしつつ、現代の世代の要求を満足させるような社会を構築する。」ことであるようです。

 この持続可能な社会の構築を実現するにはどの様なテーマが対象になるかと言えば、それはまさに「環境・資源」、「多文化共生」、「国際理解」、「人権・平和」、「開発」、「防災」などが考えられるそうです。

 そして、次が重要だと思われますが、上記テーマの下に活動を進める上での視点は何かということです。それは「人間の尊重」、「機会均等」、「国際社会」、「平等」というものがあるようです。

 この様に見て行きますと、ESD教育はまさに様々な分野に関係して物事を考えられる人材を育てようというものです。まさに第4の「変動的キャリア」を求める上で必要とされる教育方法の様に見えますが、皆さんどう思われますか。




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