新世界秩序への誘い(その9)-極左セクト「イルミナティ」の出現

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 前回までに古代神秘主義から始まり、ユダヤ教の神秘思想「カバラ」、グノーシス主義、シオン修道会、テンプル騎士団、薔薇十字団、フリーメイスンと現代の「新世界秩序」に至る歴史を追ってきましたが、今回が最後のイルミナティです。

 1776年5月1日に、フリーメイソンの極左セクトとしてイルミナティが生まれました。フリーメイソンの会員数が現在600万人に達しているというのに、イルミナティの会員数は絶頂期でも約2千人という非常にこじんまりとした一派です。この様にイルミナティとフリーメイソンは別々の組織ではなく、イルミナティの会員であれば、大部分はフリーメイスンの会員でもあったのです。

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 しかしながら、この小さな一派がフリーメイソンと共に現代まで引き継がれ、「新世界秩序」に大きな影響力を示してきた裏には理由があります。

 イルミナティは、フリーメイソンの銀行や宗教的利益を大きく動かしており、現代の新世界秩序を動かす強大な財政システムは、イルミナティに関係する仲間によって形成されたと言われています。
 
 また、5,000年以上続いたオカルトの歴史は、フリーメイソンとイルミナティに統合されますが、250年余りに亘って行われてきた超自然的事柄の実践はイルミナティが司ってきました。

 また、共産主義の目標は、イルミナティの目標と同一であることも分っています。従って、共産主義陣営の現代の宣伝活動のやり方は、イルミナティ創設時にまで遡ることができます。

 また、フランス革命から後に起こっているすべての主要な戦争は、1つの世界政府を積極的に推進するイルミナティ哲学によって影響されていると言われています。

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 イルミナティは18世紀の中頃アダム・ワイスハウプトによって頭をもたげ出します。アダム・ワイスハウプトは、当時人気のあった神話信奉の反対側に位置するカソリック信奉をバックグラウンドにしていました。イエズス会士ではなく、秘密ユダヤ人としてです。

 彼の父が亡くなった時、アダム・ワイスハウプトは5歳でした。アダム・ワイスハウプトは彼の代父と暮らすためにインゴルスタットに移り住みます。代父はインゴルスタット大学の教区司祭でした。大学はカソリックの施設でしたが、幸いなことに教区司祭はアダム・ワイスハウプトが読みたいと思っていた多くの超自然主義に関する禁止本を家に持ち帰ってくれたのでした。アダム・ワイスハウプトは1768年にインゴルスタット大学を法科の博士号を取って卒業しました。

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 1773年にローマ法王はカトリック教会の男子修道会で「教皇の精鋭部隊」と言われたイエズス会を解散しました。その理由は、当時ヨーロッパ諸国がナショナリズムを強め、王権のもとに国をまとめていこうとした時、国境を越えて自由に活躍し、教皇への忠誠を誓うイエズス会の存在が目障りなものとなっていました。ついには、列強国の圧力に屈し、教皇はイエズス会を解散に追い詰めました。

 イエズス会はそれでも大学でキリスト教会が定めた“カノン法”を教えることを許されました。その理由は、イエズス会はカノン法を理解している唯一の人々の集まりであったからです。

 ところが、このことはイエズス会とは正反対の秘密ユダヤ教の立場にあるアダム・ワイスハウプトを怒らせました。そして増々アダム・ワイスハウプトを急進的教えの方向へと駆り立てます。

 最初にアダム・ワイスハウプトが、彼の教育を始めたのは、ドイツインゴルスタットでのアダム・ワイスハウプトのアパートの一室でした。ここがイルミナティの起源を説明する唯一のプレゼンの場です。この様にして、アダム・ワイスハウプトのアパートの2階の部屋から極端な合理主義の悪魔思想が生まれたわけです。

 1777年アダム・ワイスハウプトによるイルミナティ活動は、ミュンヘンのセサドール評議会のフリーメイソンロッジの中で開始されます。フリーメイソン、僧侶、伝教士、教授、侯爵、連隊長、伯爵との連携を推進することによって、フリーメイソンのロープの中にイルミナティを織り込み始めました。

 貴族達は彼等自身の貴族社会の発展のために、より一層の連携を図ろうと、イルミナティの会員となることを選びました。イルミナティの会員は、会員がそうであることを望む限りにおいて、グループの目的を徐々に告げられて行きます。但し、それを秘密にしておくことを誓わされたのでした。秘密主義の徹底です。

 1782年数十人の参加者の下に、ウィル・ハルスバーグで神秘会議が開かれました。このころのイルミナティは絶頂期に差し掛かっており、約2千人の会員を要するまでになっていました。

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 秘密を守るために最善を尽くしたにも関わらず、イルミナティは1784年にバーバリアン政府によってその正体が暴露されました。直ぐに、全ての秘密社会に対して禁止の布告が発行されました。イルミナティの何人かの会員が逮捕され、一方で多くは布告の下でバーバリアンを逃げました。

 イルミナティ秩序の達成方法は、バーバリアン政府によって押さえられた書物の中に残っていました。政府はその書物を非常に重要に扱かい、「イルミナティ秩序の原本」という名前の公的な書き物の中に、秩序の達成方法を発行しました。それは、ヨーロッパの主たる政府に配布されたため、イルミナティの哲学はヨーロッパを通して更に広まって行きました。

 アダム・ワイスハウプトは地下に潜り、侯爵アーネスト2世アクセ・コルバーグ・アルテンバーグの後援の下、再登場します。そこで彼は彼の死までイルミナティに関する本を著し続けます。

 イルミナティはフリーメイソンの極左セクトであると位置付けで、ようやく両者の関係が明らかになった気がします。皆さんどう思いますか。




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