新世界秩序への誘い(その10)…ロスチャイルド家による世界経済支配

 新世界秩序の意味は、世界がどの様に力のバランスを保って行くかを示すルール作りです。現代に当て嵌めると、国際連合を頂点とする国際通貨基金や世界銀行による金融的な支配を指します。

 今回は、世界での最強の銀行一家を作り上げたロスチャイルド家を紹介します。当然のことながら、色々な形で世界の金融を支配してきました。

 1744年フランクフルトのゲットー(ユダヤ人隔離居住区)で暮らしていた、貧しいユダヤ人一家に生まれたマイアー・アムシェル・ロスチャイルドは、当初はどこにでもいる小銭商として生計を立てていました。少しずつ商いを大きくし、やがて銀行業を始めます。
 
 当初、マイアー・アムシェル・ロスチャイルドは、イルミナチのメンバーではありませんでした。また、イルミナチの活動に資金を提供することもありませんでした。その代わりに、イルミナチにおいて大きな力を持っていた2人のメンバーに対して、銀行家として振る舞ったのです。1人はヘッセン・カッセル方伯家嫡男のヴェルヘルムであり、もう1人は大司教カール・テオドール・フォン・ダルベルグです。

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 ヘッセン・カッセル方伯家の嫡男ヴィルヘルムは、やがてヴィルヘルム4世となり神聖ローマ帝国の領邦国家であるヘッセン・カッセル方伯領を継ぎます。一方でまたヴィルヘルムはイルミナチのメンバーでもあり、超自然というものに深くはまり込んでいました。

 ヴィルルヘルムは領内の若者を傭兵として鍛え上げ、植民地戦争の兵員を求めるイギリスに貸し出す傭兵業を営んでおり、その傭兵業の儲けでヨーロッパ随一の金持ちになっていました。

 マイアー・アムシェル・ロスチャイルドは、当時小規模ながら両替商を兼業するようになっていました。1783年には、ヴィルヘルムの傭兵業に関わらせてもらい、イギリスで掘り出された為替手形の一部を割引いて現金化する仕事を任されるようになっていました。

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 もう1人の大司教カール・セオドア・ダルベルグは、1784年にイルミナチの中で最高位を得ている人物です。彼はフランス国やナポレオンとの間で取引を行っていました。

 1789年にフランスで発生したフランス革命を恐れたヨーロッパ諸国の君主たちは、フランスに宣戦布告し、1792年から1815年まで、フランス革命戦争・ナポレオン戦争が勃発しました。自由主義をスローガンに掲げるフランス軍は、征服地でユダヤ人解放政策を実施したため、ドイツ・ユダヤ人にとっては、封建主義的束縛から解放されるチャンスとなりました。

 1811年に、大司教カール・セオドア・ダルベルグも不承不承フランクフルトのユダヤ人を開放することになりますが、この際、マイアー・アムシェル・ロスチャイルドが多額の資金提供を行ないました。ロスチャイルド家にとっても、ヘッセン・カッセル方伯家の寵愛だけに依存した不安定な状態から脱却するきっかけになりました。

 ロスチャイルド家は、この後イルミナチのメンバーとの関係の下で成長して行くのです。ただ、両者が統合することはありませんでした。

 1812年に、マイアー・アムシェル・ロスチャイルドは、フランクフルトで亡くなります。彼が作り上げた銀行帝国は、彼の家族を通して成長して行きます。マイアー・アムシェル・ロスチャイルドの野望を要約する現代英語に引用されるものの1つが、「国家の資金供給のコントロールを私にさせてもらえば、誰がその法律を作ろうとも気にしない。」というものです。

 彼は人生の終わりに向けて、5人の息子たちに次の様に告げました。「お前達はヨーロッパ全土にロスチャイルド銀行帝国を拡大しなければならない。」と。

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 父の遺訓に従って、フランクフルトの事業は長男アムシェルが全て継承し、他の4兄弟はそれぞれ別の国々で事業を開始することになりました。

 ウィーンには次男ザロモンが1820年に移住しました。ロンドンは既に三男ネイサンが移住していました。ナポリは四男カールが1821年に移住しました。パリは五男ジェームスが既に移住していました。

 五家は、相互連絡を迅速に行えるよう情報伝達の強化に務めました。独自の駅伝網を確保し、伝書鳩も飼育して緊急時にはこれを活用しました。また、その手紙は機密保持のためヘブライ語を織り交ぜていました。こうした素早い情報収集が可能となる体制作りがロスチャイルド家が他の銀行や商人に対して優位に立つことを可能にしたと言えます。

 ロスチャイルド家とイルミナチおよびフリーメイスンの間の同盟は、この新しい世代に引き継がれます。フリーメイスンは、アダム・ワイスハウプトとロスチャイルド兄弟の5人の内3人と、ナポレオンボナパルトに共通の要素でありました。

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 ロスチャイルド家の紋章は1822年にオーストリア政府(ハプスブルグ家)より、男爵の称号とともに授けられました。盾の中には5本の矢を持った手が描かれ、創始者の5人の息子が築いた5つの家系を象徴しています。盾の下には、ロスチャイルド家の家訓である(調和、誠実、勤勉)という銘が刻まれています。

 その後、フランクフルト家、ウィーン家、ナポリ家は絶家扱いとなり、ロンドン家とパリ家が現在まで残っており、銀行業を手掛けています。

 現在、ロスチャイルド家が営む事業は、主にM&Aのアドバイスを中心とした投資銀行業務と富裕層の資産運用を行うプライベート・バンキングが中心です。

 19世紀に栄華を誇ったロスチャイルド家も20世紀には衰退の一途を辿るイメージの存在と化してしまいました。しかし、「国際ユダヤ資本」を陰謀の元凶とするユダヤ陰謀論に影響されたナチス・ドイツにとっては、そのイメージは反ユダヤ主義プロパガンダの格好の材料であり、ロスチャイルド家は陰謀の黒幕扱いにされていまいます。

 ロスチャイルド家の歴史は、貧しいユダヤ人が莫大な資産を形成し、遂には貴族の地位まで登り詰める成功物語りです。しかも、現代にまでその影響力があると言われていますが、皆さんどう思われますか。




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