新世界秩序への誘い(その19)…アメリカ南北戦争での陰謀説

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 1939年に制作された「風と共に去りぬ」という映画をご存知でしょうか。ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルが主演し、アカデミー賞9部門を受賞しました。

 「風と共に去りぬ」という言葉の意味は、南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」事を意味します。1863~1865年の南北戦争では、南部の貴族的文化社会が打ち砕かれて、その敗戦の荒廃と混乱の中から新しい再建が進められます。南部の大地タラが生んだスカーレット・オハラが、この時代どの様に生き抜いたかが描かれており、そして、またこれは彼女の激しく燃えた恋の物語でもありました。


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 当時、アメリカ合衆国南部は、プランテーション奴隷制という仕組みに基づいて、社会構造は北部よりずっと深い階層構造でした。また、男性支配でした。1850年、南部の自由人人口は約600万人であり、このうち35万人が奴隷所有者でした。この35万人のうちの7%のみで、当時の奴隷の4分の3を所有しているという状態でした。


 アメリカ合衆国全体でみると、1850年代は、最初の政党である共和党が勃興し、工業化された北部と、農業の中西部に自由労働産業資本主義の経済理念を導入しようと努めていました。この時、共和党は南部に対しては何もアピールしていませんでした。

 北部では輸入品に高い関税をかけて、国内の産業を発展させることを求め、さらに黒人奴隷にも反対していました。黒人奴隷に反対した理由は、北部では工業化が進んでいたのですが、新たな労働力確保の為、南部の奴隷が開放されれば、彼等を雇い入れることができると考えたためです。

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 この様な状況の中で、1860年11月に大統領選挙が行われます。この時の争点の1つがやはり奴隷制に関する問題。そして、この奴隷制に反対する共和党のリンカーンが当選することになりまこうなると、南部の人達からしたら危機感が強まる訳です。そして、この大統領選挙の翌年には、南部の7州が合衆国を脱退し、ジェファーソン・デヴィスを大統領とするアメリカ連合国の独立を一方的に宣言するのです。アメリカが北と南で分かれてしまうのです。そして、対立が深まって行くことになります。


 1861年4月には武力衝突が発生。これが南北戦争の始まりとなります。この南北戦争は、4年にも亘る激闘の末、北部が勝利します。そして、合衆国は再び統一されることになるのでした。奴隷制度に関しては、リンカーンによる「奴隷解放宣言」がなされるものの黒人への差別や偏見がなくなるのはまだまだ先の話です。

 さて、この南北戦争に関わる陰謀論も幾つか存在しますので紹介します。

 陰謀の主人公ロスチャイルドは、1850年代のアメリカ合衆国の再生を見るにつけ、がっかりしていました。そして、分断と征服戦略を用いて、北部と南部の間に紛争を起こさせることを試みます。

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 当時、北部はカナダを併合した形で、イギリス流経済で成り立っています。これは、ライオネル・ロスチャイルドが仕切っていました。


 南部はジェイムス・ロスチャイルドの支配の下、フランスのナポレオン3世によって与えられたフランス流経済で成り立っていました。



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 リンカーンの主たる問題は、彼が禁止しようとしていた奴隷制度の問題から、如何に国際銀行に工面してもらったアメリカの防衛費を支払うかという問題に移っていました。ロスチャイルド達の率いる国際銀行はこれに狙いを付けます。しかし、リンカーンは「グリーンバック」と呼ばれる素晴らしい解決法を見付け出しました。政府は、後日金を受け取ることを保証した利子なし紙幣を印刷したのです。ロスチャイルド等の国際銀行家はこれに抵抗できませんでした。リンカーンがアメリカ南北戦争の時に、北部政府が戦費をまかなうため発行したこのグリーンバック紙幣というのは、1862年に発行が開始され、1879年まで続けられました。

 南部が降伏した5日後の1865年の4月14日に、リンカーンはジョン・ウィリアム・バウトに射殺されます。バウトは秘密結社ゴールデンサークル騎士の一員だったのです。

 写真では、左腕を右の服の下に隠す仕草をする人物が見られます。彼等は秘密結社の一員で、この様な仕草をすることによって、自分達は秘密結社の一員であることを誇示している様にも見受けられます。

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 この様な形で優秀な大統領がいかにも簡単に暗殺されてしまうのは残念です。皆さんどう思われますか。