新世界秩序への誘い(その21)…アヘン戦争へのイギリス王室の関与

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 イギリス王室が行った悪だくみとして語り継がれているのが、19世紀の中頃に起こったアヘン戦争です。これは、中国の清とイギリスとの間の戦争で、1840年に始まりました。麻薬であるアヘンが原因となったため、アヘン戦争と呼ばれています。


 アヘンとは、古くからある麻薬の1つですが、アヘンが如何に恐ろしいものであるかを知るために、麻薬についてまず説明します。下表に代表薬物の一覧を示します。

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 日本では、麻薬の多くが「麻薬及び向精神薬取締法」という法律で規制されています。ただ、大麻と覚せい剤は、それぞれ「大麻取締法」と「覚せい剤取締法」という様に、個別の法律によって規制されています。それほど大麻と覚せい剤は日本の中で蔓延しているといって良いのでしょう。

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 麻薬には、植物のケシから生成されるアヘン、モルヒネ、ヘロインといったものがあります。同じ植物系でもコカの葉から生成されるのがコカインです。更に、大麻の葉に含まれる幻覚成分等を抽出したのがマリファナです。一方、上に示した植物系の麻薬と同様に、習慣性があり、肉体と精神に重大な悪影響を与える鉱物系の麻薬として覚せい剤とLSDが知られています。




さて、アヘン戦争について、少し詳しく見てみます。

 18世紀頃、ヨーロッパでは、紅茶が大流行となり、イギリスでは清から大量の茶を輸入していました。一方、イギリスから清へ輸出されるものは、時計や望遠鏡の様な、富裕層向けの物品はあったものの、大量に輸出可能な製品が存在しませんでした。すなわち、イギリスの大幅な輸入超過でした。

 その頃イギリスは、産業革命のための資本蓄積やアメリカ独立戦争のための戦費確保のため、銀の国外流出を抑制する政策を採っていました。そのため、イギリスは植民地であるインドで栽培した麻薬であるアヘンを清に密輸出することで、輸入超過分を相殺できる三角貿易を整えたのでした。

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 一方、中国では、明代末期(1644年に明滅亡)からアヘン吸引の習慣が広まりましたが、これを抑えるため、清代に入った1796年にアヘンの輸入が禁止となりました。以降、19世紀に入ってからも何度となく禁止令が発せられますが、アヘンの密輸入は止まらず、清国内にアヘン吸引の悪弊が広まって行き、健康を害する者が多くなり、風紀も退廃して行きます。

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 清の財政は、アヘンの代金を銀で決済したことから、アヘンの輸入量増加により貿易収支が逆転、清国内の銀保有量が激減し、銀の高騰を招きました。そして、遂に道光帝は、アヘンを販売した者、アヘンを吸った者は死罪という厳しい対応を採ります。

 これに怒ったイギリスは、軍艦にて清の沿岸に発砲し、アヘン戦争は始まりました。しかし、圧倒的なイギリス海軍の力により、清は敗北します。1842年に両国は南京条約に調印し、イギリスは香港島を占領することになります。



 この時期、イギリスを統治していたのは、ヴィクトリア女王(1837~1901年)で、この時代はイギリス史において、産業革命による経済の発展が成熟した時期で、イギリス帝国の絶頂期であると見做されています。

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 ビクトリア女王は、1839年から1842年と、1846年から1860年かけてアヘン戦争を起こし、英国軍隊を中国軍隊と戦わせるために送り込みました。英国の潤沢な王室の富が、どの様に蓄積されたのか。それは国民の税金によるものではなくて、イギリスの東インド会社が、英国王や貿易商のためにインドを占拠して儲けたお金で成り立っていました。

 今回見て来た様に、イギリス王室のアヘン戦争への介入の裏には、間違いなく英国貴族までのし上がったロスチャイルド家の魔の手が伸びているものと推察していますが、皆さんどう思われますか。

 



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