投資家ソロスの足跡(その3)…ジョージ・ソロスの大いなる野望

 下に示すジョージ・ソロス関連の年表を参照して下さい。ここで着目したいのは、ソロスの活躍した時代が2つの有名な世界恐慌に挟まっている点です。1つは1929年の世界大恐慌、1つは2008年のリーマンショツクです。世界恐慌は約100年に一度の割合で過去から発生しています。

 その間に、通貨の大暴落も何回か起こっています。
・1985年のプラザ合意での円の大暴落(日本)
・1987年のブラック・マンディ(ニューヨーク)
・1992年のブラック・ウェンズディ(イギリス)
・1998年のブラック・サースディ(ロシア)

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 今回は、1992年9月16日の「ブラック・ウェンズディ」により、20億ドル(2,000億円)を稼ぎ、「イングランド銀行を破産させた男」として知られる様になったジョージ・ソロスを追いかけます。なお、以下事の顛末は越智道雄著「ジョージ・ソロス伝」に沿って紹介します。




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 さて、ジョージ・ソロスが大英帝国に「ブラック・ウェンズディ」の煮え湯を飲ませる契機となったのは、「為替相場メカニズム(ERM)」でした。1979年に発足した為替相場メカニズムは、1999年に始動する「ボーダーレス通貨」、すなわち現在のユーロの母体となるはずのものでした。通貨統合は、強弱さまざまでばらばらな加盟12ヶ国の通貨をひとまと繋がりにまとめるわけですが、投機筋にとっては、各国の為替で得られる金儲けのチャンスを激減させるものでした。そのため、彼らは通貨統合を「蛇」と呼んで、唾棄していました。

 ばらばらの胴体がひとつながりの蛇であり続けるには、12ヶ国が同一金利を維持するしかありません。しかし、ヨーロッパの12ケ国の通貨が一枚岩でいられるはずがありません。投機筋は同一金利を維持できかねる弱い通貨に攻撃をかければ良かったのです。ソロスは1989年11月のベルリンの壁崩壊時点で、この全貌を掴んでいました。「弱い通貨」の1つ、ポンドの持ち高を積み上げ始めていました。

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 ポンドの瓦解を防ぐには、サッチャーの後を引き継いだジョン・メイジャーのイギリス政府が金利を下げれば良かったのです。しかし、それでは為替相場メカニズム(ERM)に留まれません。イギリス政府は、ドイツに再三、ポンドを釘付けしたマルクの金利値下げを嘆願しましたが、ヨーロッパの事実上の中央銀行を担うドイツがマルクを弱体化させる金利値下げに同意するはずはありませんでした。そもそもドイツは、第1次世界大戦後の狂乱インフレの際、ネクタイ1本買うのにカバン一杯の紙幣が要った痛手を忘れていませんでした。
  
 ソロスは100億ドルを駆使して、ロング・ショート戦略で戦いに挑みました。ロング・ショート戦略については、本シリーズ(その16)で説明していますのでそちらを参照して下さい。

 ソロスのポンド攻撃は、フランスをはじめとするヨーロッパ通貨、ドイツ、フランスの債券や株を巻き込んで、空売りや空買いを仕掛ける手の込んだものでした。ソロスの綿密な動向把握と対処手段は、手が込んでいましたが、最後の決断の決め手は「意識下」でした。「意識下」というのは場数と関係させて説明されます。「ロング・ショート戦略は場数を踏まないといけない。運動選手が何度も何度も練習をするのは、修羅場を迎えた時に頭抜きで体が反応できるところまで意識下に叩き込んだことによるものです。この場数の支えがあれば、決断は意識下が決めてくれる。」というのです。

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 ロング・ショート戦略では、買い持ちとなるロングポジションに「いい株」を選びます。また、売り持ちとなるショート・ポジションには「悪い株」を選びます。いい株は、「好況だと早く上がり不況だと値下がりが遅い」のに対して、悪い株は、好況だと値上がりが遅く、不況だと値下がりが早い」ということになります。ショートは「虚」を突くやり方で、ロングは「実」の一点張り。この2つを目まぐるしくより合わせるため、一般人には頭脳が付いて行けません。この売り買いの目まぐるしい交錯は、「片足をブレーキにかけての運転」に例えられます。また、ショートは市場で少数派となるため、ヘッジの効果を持ちます。市場の上下にかかわらず、最悪でも差し引きゼロにしますが、大抵はささやかながら利益は出せます。

 より具体的にソロスの戦略を順番に観て行きます。

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Step1. ドイツ連銀の動きを解読します。

 ドイツ連銀の重要課題は、
(1) ドイツ通貨安定を図ること
(2) 為替相場メカニズム(ERM)の中枢機能を堅持すること
の2点でした。

 ここで、ソロスは初めて仕掛けます。売り持ち用のリラを空売りにかけます。(売り持ちは空売り用ですから、リラを借りて来る必要があり、その分資金の準備が必要です。)結果的にリラはERMから抜け落ちることとなりました。この空売りでの稼ぎが、ポンド攻撃の軍資金に繰り込まれました。

 売り持ちとは、マーケット取引において、「売りの持ち高」を取っている状態のことで、信用取引や先物・オプション取引、外国為替取引、商品先物取引で良く使われます。

Step2. 100億ドル(1兆円)の軍資金の準備。

 ソロスはこの時最大限の軍資金を投入しようと考えていました。しかし、結果的にポンド危機の進行が速過ぎて、希望の150億ドルをうんと下回り、100億ドルが精一杯だったというのが実情でした。

Step3. 引き金を引くタイミングの見極め

 ソロスが引き金を引く上で差し当たり目が離せなかったのは、下記の点です。
(1) ヨーロッパ通貨の大規模な再編成
(2) ヨーロッパの金利急落
(3) ヨーロッパ株式市場の下落

 そこで、ソロスが率いるクォンタム・ファンド勢は、まず、ヨーロッパの通貨の空売りに出ました。同時に債券市場と証券市場へも撃って出ました。具体的には、まず売り持ち用のポンド70億ドル分を空売りします。反転して、60億ドル分のマルクを買いました。少額ながらフランも買いました。この場面では、ポンドとマルクでヘッジを掛けている構図となっています。

Step4. 本格的戦闘への突入

 次いで「通貨切下げでは株価上昇」と読んで、5億ドルほどのイギリス株を購入。しました。さらにドイツ、フランスの債券を空買いし、逆にドイツ、フランスの株式を空売りしました。債券の空買いと株の空売りの組み合わせには、マルクが上がれば株は下がるが、債券は上がると見たからです。

 マルク高となるとお金に安定感が出ます。そうなると、お金で持っていた方が有利と考えるので、お金は流通しなくなります。そして、債券は買われなくなり、価格が下がり、利回りは上がると読みました。すなわち、いずれ皆が債券を買い始めるので債券価格は上昇すると読んだわけです。

 ドイツ株を空売りしたのは、現時点ではマルク高に皆の目が行き、マルクに変えた方が有利と考えたからです。すると、皆が株を売りドイツの株価は下がります。

Step5. 最終決戦

 この時の攻防の最大の賭けは、ニューヨーク市場で株式に70億ドル(7,000億円)投入したことです。持ち高は約100億ドル分、当時のクォンタム・ファンド総資産額の1.5倍でした。これは、ロングオンリーの戦略であり、最大の勝負でした。

 さらに、クォンタム・ファンド資産を担保に50億ポンドを借り入れ、ERMレート、1ポンドにつき2.79マルクでドイツ・マルクに買い換え、マルクの手持ちを巨大化させたのです。

 この目まぐるしい投資ポジションには、莫大な証拠金が要るのですが、ソロスの信用で合計10億ドルで済んでいます。また、この広範極まるポジション展開が、ソロス側にポンドでの10億ドルの稼ぎに加えて、他の戦場での10億ドル獲得に繋がっているのです。

Step6. 終局場面

 イングランド銀行は、440億ポンド(788億ドル、約8兆円)の外貨準備高から150億ポンド(269億ドル、2.5兆円)を投入してポンドを買い支えようとしましたが、遂に果たせませんでした。これは湾岸戦争にイギリスが投入した費用を上回っていたのです。

 ソロスのロング・ショート戦略の見事さには驚かされます。本シリーズ(その9)で紹介した日露戦争時の日本海軍勝利の方程式・七段構え対抗戦略(秋山真之作成)に非常に似ています。皆さんはどう思われますか。



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