リーマンショックの真実(その1)…アメリカの歴史に残る経済的出来事
2008年9月、米国でリーマン・ブラザーズが破産したことから、米国の金融が麻痺し、米国経済と世界経済が大混乱に陥り、日本経済も深刻な不況となりました。今回のシリーズではこのリーマンショックの真実を少し追い掛けてみたいと思います。リーマンショックを理解するには、アメリカの経済がどの様なものであったかを概観しておく必要があると感じ、今回はまずアメリカの歴史に残る経済的出来事を確認して置きます。
狂騒の1920年代
狂騒の20年代とは、アメリカ合衆国の1920年代を表す言葉であり、社会、芸術および文化の力強さを強調するものです。新しい建築様式の頂点、ニューヨーク市のクライスラービルはヨーロッパのアール・デコの波がアメリカに到達した後の1930年に建設されました。アール・デコとは、装飾的なものより合理性・機能性を重視したデザインを指します。
第一次世界大戦(1914~1918年)の後で政治の常態復帰があり、ジャズ・ミュージックが花咲き、膝丈の短いスカートやショートヘアのボブカットというフラッパーが現代の女性を再定義し、アール・デコが頂点を迎え、最後は1929年のウォール街の暴落がこの時代の終わりを告げて、世界恐慌の時代に入ります。さらにこの時代は、広範な重要性を持つ幾つかの発明発見、前例の無いほどの製造業の成長と消費者需要と願望の加速、および生活様式の重大な変化で特徴付けられます。
都市化は1920年代に頂点に達します。アメリカとカナダで人口2,500人以上の都市に住む人口が、田舎の小さな町に住む人口を超えました。しかし、その中でも大都市に惹かれる人が多く、人口の約15%に達しました。ニューヨークとシカゴはその摩天楼建設を競い、ニューヨークはクライスラービルやエンパイアステートビルで先行します。金融と保険産業の規模は2倍、3倍になりました。
ITバブルが崩壊した2000年
コンピュータ需要に追いつくべく、IT関連製品の製造工場は増産を開始したのは1990年からです。初めは作ったら作った分だけ幾らでも売れるので、生産工場はノンストップで作り続けました。失業率は減少し、従業員の賃金もアップ、丁度アメリカがIT景気に沸いていた頃のことです。
しかし、売上の伸び率が2000年初旬から下降を始めます。パソコンは簡単に壊れませんから、一度買ったら、よほど新しいモノ好きでもない限り、なかなか買い替えることはありません。一般家庭でパソコンが普及すれば、市場は飽和状態になります。一方で、依然として工場は製品を作り続けました。その結果、需要の薄れた製品が倉庫に積み上がり、在庫に溢れてしまったのです。慌てて生産調整をかけたとき、景気に急ブレーキがかかってしまいました。
2000年頃から実際に景気が下向きになると、「IT革新によって在庫が管理されるので、生産性が向上るというニューエコノミーはアメリカ経済の成長性や持続性に対する過剰な期待から出たのだ。」と感じる人が現われ、ますますITバブルというものに疑念を持つ人が増えました。アメリカがインフレなき半永久的な成長を遂げるには、IT革新がもっと進む必要がありました。ITバブルで沸いた2000年頃はまだ、未熟だったと分析されています。
ITバブルが崩壊した後も、比較的堅実な経営をしていたマイクロソフトやアップル、グーグルなどの多くの企業は、大きく時価経済を損ないながらも、経営を続けることができました。悲劇的な末路を辿ったのは、ITベンチャー企業の看板だけで、内容のないいい加減な企業でした。確かな指導者、技術、経営手法などを持たない、弱小ITベンチャー企業は、ITバブル崩壊とともに倒産し、その会社に投資していた投資家も資産を失いました。
1996年、まさにITバブルの真最中のとき、すでにバブルの崩壊を予言していた人がいます。FRB(連邦準備制度理事会)の議長を務めていたグリーン・スパン氏です。グリーン・スパン氏は、ITバブルに押されるように経済が上昇し始めた時、「根拠なき熱狂は予想外の景気収縮を招きかねない」と警鐘を鳴らしていました。ITバブルの崩壊は、まだ成長の過渡期にある小さなIT産業を、実態より過大に評価しすぎたため、これほど早い終焉を迎えたと言えるのです。
リーマンショツクによる住宅バブルの崩壊
2000年に米国でITバブルが崩壊して景気が悪化すると、FRB(米国の中央銀行)は金融を緩和しました。金融緩和は住宅投資を刺激し、今度は住宅バブルが発生しました。バブル期に銀行が融資姿勢を緩めるのは世界共通のようで、住宅価格が上昇を続けることを前提に、米国の銀行は信用力の低い借り手にも融資をしました。これを「サブプライム・ローン」と呼びます。
米国の銀行は、住宅ローンを貸すと「証券化」という取引を行うことがあります。取引内容は複雑ですが、ここでは「借り手が書いた借用証書を売却する」と理解しておいて下さい。サブプライムローンの借用証書を大量に買い漁ったのが、大手証券会社のリーマン・ブラザーズでした。借り手の信用力が低いぶんだけ金利が高く設定されているので、大儲けを狙ったのです。多くの人が利子分が多く手に入るので買いに走ります。
しかし、住宅バブルが崩壊したので、サブプライムローンの多くが焦げ付き、リーマン・ブラザーズは倒産しました。焦げ付くとは、ローン融資した銀行は融資した金が戻らない、一方、ローンを証券化した投資銀行は、債券の金利を払わなければなりませんし、元本も返す必要があります。
当時は他にも多くの金融機関がサブプライムローンの借用証書を大量に抱かえていましたが、具体的に誰がどれだけ抱かえているのかは公表されていませんでしたので、金融機関は相互に疑心暗鬼になりました。ここから先は日本のバブル崩壊時と非常に似ています。金融機関相互の資金貸借が止まり、銀行が自己資本比率規制によって貸し渋りをし、政府が銀行の増資を引き受けようとして、中小企業等の反対に遭う、という展開です。
金融機関相互の資金貸借が止まり、貸し渋りが横行、各金融機関は焦りました。「大手金融機関が倒産しそうになったら、政府が助けるだろう」と思っていたら、そうではなかったわけです。ということは、他にも倒産が続出する可能性があるわけです。「それなら、他の金融機関への貸出は回収しよう」という金融機関が続出しました。そうなると、他の金融機関から借りていた銀行は困ります。顧客から融資を回収しなければなりません。期限前の回収は困難ですが、「期限には再び貸すことが暗黙の前提となっている貸出について、期限に回収したまま再度の貸出を行なわない」という「貸し渋り」を行なうわけです。
融資を回収された借り手は、別の銀行から借りようとしますが、容易ではありませんし、従来から取引のある銀行は、「返済期限だから返すけど、また貸して」「いいよ」で終わりですが、新しい銀行だと「御社の返済能力を慎重に調べるので、お待ちください」と言われます。加えて実際には、銀行の融資態度が既存顧客より新規顧客に対する方が厳しい、ということもあるようです。
その間の材料の仕入れができず、従業員の給料が払えずに、倒産した借り手も多かったでしょうし、借金で買う予定だった自動車を諦めた消費者が多かったり、自動車の売れ行きが落ち込んだでしょう。こうした事態に際しては、米国の中央銀行FRBが、各銀行に十分な融資を行ない、貸し渋りを解消すべく務めました。
「金融は経済の血液」「米国が風邪をひくと日本が肺炎になる」と言われます。リーマンショックはこのことを痛感させられる出来事でしたが、皆さんはどう思われますか。