日本外交の目指す方向(その4)…儒教に支配された中華思想について

画像の説明

 儒教のイメージは、「徳」を重んじる思想、あるいは封建制度を支える上下の規律を重んじる思想、と言ったものです。儒教の代表的教科書は「論語」ですが、この儒教文化こそ、中国大陸を支配する王朝が次々に生まれては消えた長い歴史を支えてきました。そしてこの儒教こそが、いまなお漢民族のエリート層を中心に根強く残っている「中華思想」と密接につながっています。

 この覇権主義的な「中華思想」が、中国指導者の中に精神的主柱として存在する証拠に、中国が東シナ海や南シナ海で行っている暴挙があります。これらの行為も中華思想、ひいては儒教の教えを抜きにして理解することはできません。「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの」という、「ドラえもん」に出てくるガキ大将「ジャイアン」のように、傲岸不遜な中国の言動は、世界の人々の規範や常識を超えたところに要因がありそうです。

 下に示す年表を見ながら儒教にまつわる中国の歴史を追いかけてみます。

画像の説明

 儒教を説いた孔子は紀元前552年に生まれ、同479年に亡くなったと伝えられています。その後、孟子を筆頭とする孔子の思想の継承者たちが、儒教を中国大陸に広めました。

画像の説明

 紀元前221年に中国最初の統一王朝である秦が成立します。すると儒教は、始皇帝による新しい統治のあり方に異を唱え、国の統治を乱す思想として弾圧の対象とされてゆくことになり、有名な「焚書坑儒」が行われました。儒教の書物は燃やされ、儒教の学者460人余りが生き埋めにされて、虐殺されました。始皇帝は儒教ではなく、道教を政治に採り入れます。道教は儒教と比べると簡素な教えで、儒教が好む華美さを持たない点が始皇帝に好まれたといいます。道教は老子の思想を根本とし、その上に不老長寿を求める神仙術や、おふだを用いた呪術や厄災の除去儀式を重視する宗教です。

画像の説明

 始皇帝が亡くなると、秦は漢を建国した劉邦に滅ぼされます。やがて漢王朝が数世代続くうちに、簡素な教えの道教よりも、敬礼威儀を主張する儒教へと、為政者たちは傾倒していきます。この後、北朝の北周の第三代皇帝武帝は、西暦574年、「三教」と呼ばれる儒教、道教、仏教のなかから、儒教を国教として選びます。こうして儒教は、完全に復活したといってもよいでしょう。

 儒教思想に問題があることを、秦の始皇帝が2200年以上も昔に感じていた事実には驚かされます。しかも始皇帝に弾圧されて、一度は滅びかけた儒教が、その後もしぶとく生き残り、ついには完全復活し、現代中国人の思想にまで強い影響を与えている事実も驚くべきことです。しかし、名前は昔から変わらず「儒教」であっても、孔子から時代を下るごとに、どんどん質が低下しているように思えます。

 上下の序列が決まっている儒教国家では、この秩序を乱すことはできません。野蛮な国が正統な王朝や上位国に戦いを挑むなどということは、すなわち犯罪にも等しいと、彼らは考えるのです。そのため、かつて自国領土に侵入した日本は犯罪者であり、その烙印は永遠に押し付けておかねばとしいうのが、中国人に共通した心理です。日本的な「嫌な過去はお互い水に流す」という考え方は、彼らの頭のなかにはまったく存在しません。こんな事情があるため、中国人は、歴史を捏造、改ざんまでしてでも、「われわれは正義の戦いに勝利したのだ」と強弁しなければならないのです。これが「抗日戦争と世界ファシズム勝利七十周年記念式典」の正体です。ありもしない「南京大虐殺」を騒ぎ立て、第二次世界大戦の戦死者は3000万人以上だった、などと妄想を語るのです。

画像の説明

 南京大虐殺とは、日中戦争(支那事変)初頭の1937年(昭和12年)12月、日本軍が南京を占領した際、約12ケ月にわたって多数の中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵および一般市民を殺害、暴行、虐殺、強姦、略奪、放火したとされる事件です。

 戦後、南京軍事法廷や極東国際軍事裁判で裁かれました。中国側は南京大虐殺や南京大屠殺と称していますが、事件の真相はいまだ不明であり、捕虜、敗残兵ないし便衣兵を殺害したのか婦女子も含むのか、どの程度の規模か、などの点で食い違いが多く、事件の規模、虐殺の存否、戦時国際法違反か否かの論争が存在しています。

 中国の歴史教科書には、「南京大虐殺」のような虚偽の内容を記述たり、また、東南アジアやネパール、朝鮮半島、樺太、そして沿海州(極東ロシアの日本海沿岸にあった州)に至るまで、「もともとは中国の領土だった」と記述したりしています。これらの領土は、外国に奪われた土地だというのです。

 中国で生き残った儒教からは、「仁・義・礼・智・信」といつた道徳的な思想が抜け落ちてしまいました。一方、日本では、「「仁・義・礼・智・信」といった儒教の精神を引き継ぎ、道徳心を大事にしてきました。江戸時代以降の武士道は、支配者層であった武士が自らを律する道徳規範として成立し、生活の中に浸透していったのです。

 では、なぜ同じ儒教に影響されながら、日本が中国と違った独自の文化を生み出すことができたのでしょうか。一つには、日本は建国以来、一度も王朝交代が起きていないことが影響していると思います。すなわち日本には、過去に誰一人として侵したことがない「絶対的な公」、つまり「天皇・皇室」が存在するということです。天皇という圧倒的な存在に敬意を払えない日本人がいたとしたら、日本人としてまともな教育をうけられなかった人か、中国の「呪われた儒教」のような思想に毒された人でしょう。それに加えて、もともと日本人に根付いていた行動原理の影響も大きいと思います。つまり、「話し合いで物事を決める和の精神」が、日本人にだけあるのです。

画像の説明

画像の説明

 さて、中華思想では、中国の皇帝こそが世界の中心であり、そこから離れた地域は未開の地、そして、そこに住む人々は禽獣にも等しいと考えます。中心に近ければ近いほど先進的で優れており、遠ければ遠いほど未開で野蛮なのだと、何の根拠もなく無条件に決め付けているのです。中華思想の下では、世界のすべては中国皇帝の所有物であるとも考えます。このような身勝手な妄想が、民主主義全盛の現代においても、中国人、とりわけ漢民族のエリート層、要するに中国共産党の頭の中に、根強く残っているのです。彼らの筋金入りの傲慢さは、儒教を淵源とする中華思想に根差しているのです。

画像の説明

 習近平国家主席は、その就任演説で、「中華民族の偉大な復興という中国の夢」という言葉を堂々と掲げました。この覇権主義的な発言は、まさに中華思想が彼自身の精神的主柱として存在する証拠であり、中国が東シナ海や南シナ海で行っている暴挙も、中華思想、ひいては儒教の教えを抜きに理解することはできません。さらに始末に負えないのが、その儒教精神において、本来であれば重要とされてきたはずの「道徳」や「倫理」を、現代中国人の多くは完全に置き忘れてきてしまったことです。この歪んだ儒教の伝授が、世界的に大迷惑な政治体制と、多くの現代中国人の傍若無人な国民性の基礎となってしまったのです。

 2007年、中国人民解放軍幹部がアメリカ太平洋軍のキーティング司令官に、「ハワイから東はアメリカが、ハワイから西は中国が管理しよう」と持ち掛けたことがありました。中国は、さらにその太平洋分割の起点となるハワイ諸島にも領有権を主張しています。

 2017年10月27日京都大倉ホテルでの櫻井よしこ後援会でも、桜井よしこ氏は、同様のことを話されていました。中国の軍事戦略には3つのシナリオがあるとのことです。それは、

第一列島線…北海道、東京、九州、台湾、フィリピンを結ぶ線。中国はこの線まで押し
出して来ています。
第二列島線…伊豆・小笠原諸島からグァム、サイパンを含むマリアナ諸島群を結ぶ線。
第三列島線…太平洋を真中で割って、西東に分ける線。ハワイからサモアを通り、ニュージーランドに至る線です。

画像の説明

 現在、アメリカは第三列島線よりも東側で待機の作戦を取っています。アメリカ軍が第一列島線に出て行くまでに3ケ月かかりますので、もし尖閣諸島で衝突が起これば、5日間もちません。サッカーでゴールキーパーだけで戦っている様なものです。しかし、日本はアジアの国々を守らなければならず、その為には、軍備力の増強、自衛隊員の増強が急務となります。国民を政府が守るためには、(1) 経済力を担保、(2) 安全保障戦力を担保、する必要があります。アメリカは今、Off Shore戦略採っており、フィリピン軍隊は弱く、台湾も2,300万人の小国です。日本が頑張るしかないのです。

 最近の中国は、沖縄に対する領土的野心を実現すべく、具体的な工作活動を行っています。普天間基地移設反対や、北部訓練場ヘリパッド工事の妨害など、米軍基地反対運動に名を借りて、日米同盟に楔を打ち込もうとする運動を行っています。この運動はさらに、日本領土と沖縄を分断させ、いずれは沖縄を独立させようというものです。中国の計画は着々と進んでいるのです。

 以上見てきましたように、日本と中国の決定的な違いは、先天的なDNAの問題よりも、後天的要素である歴史的、文化的な背景にあると考えられます。物事に対する考え方や捉え方が、日本人と中国人では根本から正反対と言っていいほど違います。そしてその違いの根源が「儒教」にあるようにみえますが、皆さんはどう思われますか。



コーディネーター's BLOG 目次