日本外交の目指す方向(その11)…日本に対し優越感を持つ韓国の歴史観

 韓国では、日韓の歴史は大体3つの時代で教えられています。古代、秀吉時代、日本統括時代です。中でも古代は韓国が日本に対し優越意識を持つ上で重要です。

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 4~7世紀の古代は、韓国の三国時代に当ります。学校では高句麗(コウクリ)と新羅(シンラ)と百済(クダラ)の時代で、朝鮮半島はとても輝いており、文化や文明があったと教えられます。例えば、仏教があり、漢字も入ってきて、三つの国が輝いていた時代だったという訳です。ところが、その頃の日本列島を見ると、何もありませんでした。仏教もない、文化もない。このようなところから、韓国が日本に文化や文明を教えてあげたのだという話が始まります。




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 中世には、豊臣秀吉による朝鮮侵略が行われました。明を征服することで武士をまとめて行こうと考えた秀吉は、朝鮮に日本への服従と日本軍の明への通行許可を要求しました。それが拒否されると、1592年、全国の大名を動員し、九州の大名を主力とする大軍を朝鮮に送りました。日本軍は、朝鮮国内の乱れもあって、まもなく首都の漢城(ソウル)や各地の都市を占領しました。しかし、侵略に抵抗する民衆などが義兵を組織して、各地で日本軍を苦しめるようになり、さらに明の援軍も加わりました。こうして戦争が長引いたので、日本軍は休戦し、兵の一部を残して引き上げました。ところが、明との講和の話し合いがまとまらず、秀吉は再び兵を送りました。しかし、苦戦が続き、秀吉の病死とともに全軍が引き上げることになりました。

韓国併合と朝鮮の人々

 1904~1905年の日露戦争後、日本は朝鮮(韓国)の外交権を奪って韓国統監府を置き、次に朝鮮の内政権も握り、朝鮮の軍隊を解散させました。解散させられた兵士は、農民とともに各地で日本の支配に激しく抵抗し、初代韓国統監だった伊藤博文が朝鮮の青年・安重根(アンジュウコン)に射殺される事件も起こりました。

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 その後、日本は1910年、軍隊の力を背景に朝鮮を植民地にしました。これを韓国併合と言います。併合の後、朝鮮総督府が置かれて、日本の軍人が総督となり、朝鮮全土に日本の軍隊や警察を配置して、抵抗運動を抑えました。学校では、日本語や日本の歴史を強制的に教えられました。この様に、朝鮮民族の習慣や文化を否定し、日本に同化させる政策を進めましたが、台湾と同様、朝鮮の人々には選挙権を認めませんでした。このころから、日本人の朝鮮民族への優越感が一層強まり、一方日本の支配に対する朝鮮の人々の抵抗もさらに続けられました。


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 韓国併合後の朝鮮では、日本が土地調査を進め、所有権が明確でない土地を農民などから取り上げ、さらに、企業の活動も規制しました。土地や職を失った人々は、日本や満州に渡り、日本人よりも低い賃金で働かなければなりませんでした。1919年3月1日、朝鮮の独立を目指す人々がソウル(京城)で独立宣言文を発表し、数千の人々が「独立万歳」を叫んでデモ行進を行いました。この動きはやがて朝鮮全土に広がって、2,000万人ともいわれる人々が参加する運動になり、日本政府は警察や軍隊を動員して鎮圧しました。この運動は三・一独立運動と呼ばれ、その後の朝鮮独立運動の出発点となりました。

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 1923年9月1日、マグニチュード7.9という大地震が南関東一帯を襲いました。その時の火災で東京は3日間も燃えつづけました。これが関東大震災です。被害を受けた7府県の被災者は約340万人、死者・行方不明者14万人ものぼり、政治や経済は大混乱に陥りました。特に、東京・横浜の企業や銀行の営業ができなくなるなど、日本の経済に大きな打撃を与え、1914~1918年の第一次世界大戦後の不景気をさらに深めました。この混乱の中で、朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいるとか、社会主義者が暴動を起こそうとしているといったデマが、住民や警察などによって広められました。そして、差別意識や抵抗へのおそれもあって、数千人の朝鮮人の他、社会主義者や労働組合の指導者が、住民やむ組織した自警団や軍隊・警察などによって捕えられるたり殺されたりしました。

 ちなみに、日米の資本主義、ソ連の社会主義、中国の共産主義という言葉が出てきますので、これらの定義づけをしておきます。
・資本主義…誰もが資本を元手に自由に会社を作ることができるという考えです。
・社会主義…経済活動を「社会」、すなわち国で管理しようとする考え方です。すべてを国営企業として、不景気が起こらない様にコントロールします。まだ階級社会でもあります。
・共産主義…階級対立のない共同社会で、各人は能力に応じて働き、必要に応じて賃金を受け取るという考えです。

朝鮮と台湾の抵抗運動

 1885年の下関条約で日本の植民地となった台湾、1910年に韓国併合で日本の植民地となった朝鮮では、社会不安が高まり、民族運動が激しくなって日本の支配を揺るがすようになりました。朝鮮では、神社を造って参拝させたり、日本式の姓名を名乗る「創氏改名」を強制して、日本に同化させる皇民化政策を推し進めました。日本人学生が侮辱的な言動を行なったという事件がきっかけになって、光州で学生闘争が起こり、1929年から翌年にかけ、学校を集団で休んだり、反日デモが行われたりしました。台湾でも、1930年に一部の人々が武装し、警察署や学校の日本人を襲いました。日本は軍隊を動員し、飛行機による爆撃やガス弾までを使うなどして、これを鎮めました。

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 1937(昭和12年)年7月には、北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突する事件(満州事変)が起こりました。日清戦争以来、日本は欧米列強にならって中国大陸への野心を露骨に抱いていましたが、1937年の盧溝橋事件を境に日本関東軍と中国国民党軍は、全面戦争へと突入します。現在日本では、一般的にこの時に日中戦争が始まったと理解されています。

 日本統治時代の朝鮮人徴用という言葉を良く耳にしますが、これは第二次世界大戦中の日本統治時代の朝鮮において国策として日本政府により朝鮮人に対して1939年より行われた労務動員を指します。朝鮮人に対する戦時動員は、軍要員の動員(兵力動員)と労務動員に区別されます。軍要員の動員(兵力動員)は、志願、徴兵の2形式に、労務動員は募集形式と徴用形式と道内要員の3形式に分かれました。朝鮮半島の内部を動員先とする道内要員が70~80%と多数を占めました。徴用工問題は、日本統治下の朝鮮半島の出身者たちが、戦時中、労働力として日本内地に動員された問題です。

 従軍慰安婦問題は、第二次世界大戦中に発生した問題で、当時韓国は「日韓併合」により大日本帝国の支配下にあり、「外地」と呼ばれる日本の一部でした。戦時中、日本軍兵士を慰労する目的で、各地に慰安所が設けられれましたが、現地の韓国人女性を強制的に慰安婦として連行し性奴隷とした、というものです。

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朝鮮戦争

 1941~1945年の第2次世界大戦のあと、日本の支配から解放された朝鮮では、冷戦の影響を受けて、1948年、アメリカの支援で南部に大韓民国(韓国)が成立しました。次いで、ソ連の支援で北部に社会主義国の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がつくられました。この両国は、次第に対立し、1950年、北緯38度線の全域で戦闘が起こり、朝鮮戦争が始まりました。

 アメリカ軍を主力とする国連軍は、半島の南端に追い詰められた韓国軍を助けて参戦しました。その後、中国が義勇軍を送って北朝鮮を援助したため、戦局が変わって、38度線付近で一進一退を繰り返すようになりました。開戦1年後には、平和を望む国際世論が高まる中で休戦会議が開かれ、1953年に休戦協定が結ばれました。

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 現在、日韓関係がこじれています。この問題を修復するには、日本と韓国の歴史認識を正しく持って対応すべきだと良く耳にします。そこで、今回は古代から現代までの両国の歴史的関わりを調べてみました。ただ、その上でどう判断すればよいのか判りません。皆さんはいかがでしょうか。



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