FRBの金融政策とインフレ(その2)…サブプライム問題に火を点けたグリーンスパン

アラン・グリーンスパン(1987~2006)

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 5期(1987~2006年 任期4年-5期20年)にも渡ってFRB議長を務めたアラン・グリーンスパンは、言葉巧みでカリスマ性があり、「金融の神様」「マエストロ」などと呼ぶ声もありました。グリーンスパン議長時代の大統領はレーガン、ブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ(息子)です。

 議長就任2カ月後の1987年10月、ブラックマンデーが起こります。 また2006年には、米国のサブプライムローン問題が世界的金融危機にまで広がってしまい、2008年のリーマンショックへと繋がります。特にサブプライム問題はグリーンスパンの金融政策の誤りであったと言われています。今回は、この辺を中心に調べてみました。

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ブラック・マンデー

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 ブラックマンデーとは、1987年10月19日ニューヨーク株式市場で起きた株価の大暴落のことを指します。この大暴落が月曜日に起こったことから「ブラックマンデー」という呼び名がつけられました。このブラックマンデーの大暴落によって、米国の主要株価指数であるダウ工業株30種平均は、終値で先週末比「508ドル」の下落を記録しました。当時のダウ平均は2250ドル前後だったので、値下がり率はなんと22.6%にまでなりました。1日にして主要指数が20%超も下落してしまったのです。そして、ニューヨーク株式市場の大暴落は、全世界へと波及していき日本も含め世界的な株安を招く結果となりました。


 ブラックマンデーの翌朝にグリーンスパン議長は「FRBは流動性を提供する準備ができている」と発表しました。結果、前日20%も下落したNYダウが4%反発します。これによってグリーンスパンは市場に評価されましたが、ダウ平均が暴落前の水準に戻ったのは、約1年3ヶ月後の1989年1月24日です。このことからも下げ幅とインパクトの大きさが伺えます。しかし、ブラックマンデーから約2年後の1989年8月にはダウ平均は完全に回復します。

 それでは、なぜこれほどの大暴落が1日で起きてしまったのでしょうか。ここからは、ブラックマンデー大暴落の原因について説明してゆきます。まず前提として、1つの事柄のみが原因で大暴落が起きることはほとんどありません。このブラックマンデーも、複数の要因が重なり、投資家心理が悪化したために発生したとされています。ブラックマンデーの発生要因としては、大きく下記4点が挙げられます。

1980年代初期:米国の「双子の赤字」
1987年9月:西ドイツの利上げ
1987年9月:ルーブル合意の協調政策の破綻への懸念
ブラックマンデー当日:自動売買システムによる売りの連鎖

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サブプライム問題

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 グリーンスパンは2006年当時中央銀行マンとしての評価が高く、まさに神様あつかいだったようです。そのグリーンスパンが、住宅がバブル状態にあるのを懸念しつつも、「住宅価格はこれまで70年間下がらなかったのだから、今回も大丈夫だ」と発言してしまいました。これを聞いた金融機関や住宅関連の人達は安心してしまい、ますます住宅バブルに拍車をかけてしまいました。グリーンスパンの不用意な発言、これこそがサブプライム問題の当局側の重大な過失だったと言われています。そして、2006年の6月には、住宅価格の上昇率が前年比ゼロとなり、そこから下落に転じてしまいました。これにより、サブプライム問題が表面化しました。

 サブプライムローンというのは、低所得者のみならず過去に債務不履行歴があるなど、信用力の低い人を対象にしたローンです。サブプライムはリスクが高いのでプライムよりも高い金利を取るのに、どうして皆がサブプライムローンに殺到したのでしょうか。当時のセールストークは下記のごとき甘い言葉であったようです。

 「住宅という大きな資産を自分で持っているということになれば、その人の信用力が高まったということで、2年後にはサブプライムローンからプライムローンに乗り換えることが可能になります。乗り換えるまでの2年間、サブプライムの高い金利下における支払いをどうするかという問題が残りますが、そこは優遇金利が適用され、この期間のローン支払い額は本来の水準よりずっと低い所に抑えられます。これによって毎月の支払いの大幅な上昇は回避できます。」これだと誰でもサブプライムローンを組んで住宅を購入しようという思いにかられます。

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リーマンショツクによる住宅バブルの崩壊

 グリーンスパンは2006年に引退しますが、2008年には米国のサブプライムローン問題が世界的金融危機にまで広がってしまいました。個人向き住宅融資問題に端を発した信用収縮の長期化が米銀行大手の収益力を直撃しています。これは実はアメリカFRB連邦準備制度理事会の理事長であったグリーンスパンの金融政策の誤りであったと言われつづけます。

 米国の銀行は、住宅ローンを貸すと「証券化」という取引を行うことが一般です。取引内容は複雑ですが、ここでは「借り手が書いた借用証書を売却する」と理解できます。サブプライムローンの借用証書を大量に買い漁ったのが、大手証券会社のリーマン・ブラザーズでした。借り手の信用力が低いぶんだけ金利が高く設定されているので、多くの人が利子分が多く手に入るということで買いに走りました。リーマン・ブラザーズは大儲けが狙えました。

 しかし、住宅バブルが崩壊したので、サブプライムローンの多くが焦げ付き、リーマン・ブラザーズは倒産しました。焦げ付くとは、ローン融資した銀行は融資した金が戻らない、一方、ローンを証券化した投資銀行は、債券の金利を払わなければなりませんし、元本も返す必要があります。リーマンは持ちこたえられなかったのです。

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 当時は他にも多くの金融機関がサブプライムローンの借用証書を大量に抱かえていましたが、具体的に誰がどれだけ抱かえているのかは公表されていませんでしたので、金融機関は相互に疑心暗鬼になりました。ここから先は日本のバブル崩壊時と非常に似ています。金融機関相互の資金貸借が止まり、銀行が自己資本比率規制によって貸し渋りをし、政府が銀行の増資を引き受けようとして、中小企業等の反対に遭う、という展開です。

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 当時金融機関相互の資金貸借が止まり、貸し渋りが横行しました。「大手金融機関が倒産しそうになったら、政府が助けるだろう」と思っていたところが実際はそうではなかったわけです。ということは、他にも倒産が続出する可能性があるわけで、「それなら、他の金融機関への貸出は回収しよう」という金融機関が続出しました。そうなると、他の金融機関から借りていた銀行は困ります。顧客から融資を回収しなければなりません。期限前の回収は困難ですが、「期限には再び貸すことが暗黙の前提となっている貸出について、期限に回収したまま再度の貸出を行なわない」という「貸し渋り」を行なうわけです。

 融資を回収された借り手は、別の銀行から借りようとしますが、容易ではありませんし、従来から取引のある銀行は、「返済期限だから返すけど、また貸して」「いいよ」で終わりですが、新しい銀行だと「御社の返済能力を慎重に調べるので、お待ちください」と言われます。加えて実際には、銀行の融資態度が既存顧客より新規顧客に対する方が厳しい、ということになりました。
 
 その間の材料の仕入れができず、従業員の給料が払えずに、倒産した借り手も多く現れました。また、借金で買う予定だった自動車を諦めた消費者も多くでましたので、自動車の売れ行きも落ち込みました。こうした事態に際しては、米国の中央銀行FRBが、各銀行に十分な融資を行ない、貸し渋りを解消すべく務めました。

 FRBの歴史を観ると、サブプライム問題に火を点けたグリーンスパンの金融政策は、後世に大きな波紋を残したと考えますが、皆さんはどう思われますか。



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