コーヒーブレイク…令和の時代と皇位継承

 2019年5月1日に新天皇が即位され、新元号「令和」の時代が始まりました。初の戦後生まれの天皇の時代に、象徴天皇制はどうなっていくのか、今後の皇室を巡る課題は何かを少し調べてみました。

新元号「令和」の持つ意味

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 元号が変わる1ケ月前の2019年4月1日に、内閣官房長官・菅義偉(よしひで)が、新元号「令和」を発表しました。その時にはテレビに釘付けになっていましたが、一瞬、驚きのような、何か新鮮な印象を持ったのを覚えています。新元号は万葉集の第五、大宰府での梅花の宴の歌32首の序文から採られ、初めて国書から採用されたと説明がありました。万葉集とは、7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された現存する我が国最古の和歌集です。和歌とは五七五七七と句を連らね、三十一字でつづる短歌のことです。平安時代末期から鎌倉時代にかけて活動した公家・藤原定家が選んだ秀歌撰である小倉百人一種にも万葉の歌人の歌も収められています。

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 その序文とは「初春の令月にして、気淑く(き・よく)風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、欄(らん)は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」です。作者は太宰府の長官・大伴旅人(おおとものたびと)と言われています。平城京(710年~784年)では「長屋王の変(729年)」が起き、藤原4兄弟による陰謀と独裁が始まっていました。旅人はそうした時期に左遷され、大宰府に来ました。中央の政局への複雑な感情があったに違いありません。そのなかで開いた宴の序文には、権力者にあがらいはしないが、屈服もしないという気持ちが見て取れます。本当は、どんなに悔しかったか。それを抑えて悠然と風流を楽しんで宴を張るのでした。不如意の時の見事な生き方を示しているとの解釈がありました。

 この新元号「令和」の考案者とされる中西進・大阪女子大名誉教授は、「令」を「うるわしい」と読んだうえで「令(うるわしく)しく平和を築いていこうという合言葉だ」と説明しています。戦争のなかった平成の時代の継承を強く訴えています。

天皇家の歴史

 古代から現代へと国の中での位置付けを変えながら、天皇家は途絶えることなく続いてきましたので、日本の歴史を天皇抜きに語ることはできないそうです。太平洋戦争の敗戦で「国民統合の象徴」になりましたが、それまでには長い歴史がありました。

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 「日本書記」などに記載があり、初代と伝えられるのが神武天皇です。しかし、3世紀頃までは神話の域をでません。古代の天皇については、戦後、実在性や在位期間についていまも論争が続いています。

 大王(おおきみ)の時代を経た7世紀、統治制度が整えられ、本格的な中央集権国家の建設が始まりました。初めて「天皇」を自称したのは天武天皇とする説が有力だそうです。

 平安時代に入ると、天皇に代わって貴族が実権を握り、摂関政治の時代となりました。鎌倉時代以降は、武家が政治を支配しますが、天皇が歴史から排除されることはなく、名目上の統治者として存続しました。

 明治政府は、大日本帝国憲法で天皇を主権者に位置付けました。太平洋戦争の敗戦後、日本国憲法は政治的権能を否定し、天皇は「国民統合の象徴」となりました。

女性天皇と宮家

 歴代天皇には女性もいました。初めての女性天皇は6世紀末に即位した推古天皇です。再び皇位に就いた2人を含め、飛鳥・奈良と江戸時代に計10代8人の女性天皇が誕生しました。全員が天皇の皇女で男系です。女性天皇や母方が天皇の血筋を引く「女系天皇」が即位したことはありません。これら女性天皇は、男系男子に皇位が継承されるまでの中継ぎだったとの説が有力となっています。明治時代に制定された旧皇室典範にも、天皇は男系男子とするとの規定が引き継がれました。

 女性天皇と女系天皇は違います。女性天皇は、文字どおり女性の天皇のことです。女系天皇の女系とは、母方が天皇家の血筋を引くお子様を指します。そのお子様は男子でも女子でも女系です。例えば、現天皇のこどもは愛子さまで男子ではありません。愛子様が天皇になれば、女性天皇ですが、愛子様の子供が天皇を継がれれば、これは女系天皇ということになります。

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 男性皇族が減少する中、小泉政権が設定した「皇族典範に関する有識者会議」は、2005年11月、女性・女系にも皇位継承を認める報告書をまとめました。これについては、2006年9月に秋篠宮家の長男悠仁(ひさひと)さまが生まれたこともあり、制度化には至っていません。

 皇族で宮号(みやごう)を持つ家を「宮家」と呼びます。現在は、秋篠宮、常陸宮、三笠宮、高円宮の4つがあり、天皇家を支えながら皇室の公務を担っています。現在の宮家では、秋篠宮家と常陸宮家にしか男性皇族はいません。民間人と結婚した女性皇族は皇籍を離れることになり、将来は現状の公務が維持できなくなる恐れがあります。

今回の退位の意義

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 上皇さまが天皇退位のご意向をにじませるお言葉を出された際、天皇の政治関与を禁じた憲法に触れるのではないかとの懸念がありました。昭和天皇は大日本帝国憲法と日本国憲法の2つの憲法を生きました。上皇さまは日本国憲法下での天皇で、平成の30年は自らの役割を見出す過程でした。外国の戦災地に行って鎮魂の祈りをささげ、災害時には被災者とともに祈りをささげることを絶えずやられました。常人の技ではありませんでした。



 上皇さまが天皇時代になされたお勤めを新しい天皇陛下がすべて引き継ぐのは難しく、議論が尽くされていません。皇室外交も増えましたので、皇室全体で分担しようとの話もありますが、皇族数は減っていますので、簡単ではありません。また、上皇さまの役回りも明確ではありません。宮内庁に公務の分担を調整する能力があるのか判らない状況だそうです。

 今回の新天皇の即位に際して、日本国民がいかに天皇を敬愛し、心を寄せているか改めて感じましたが、皆さんどう思われましたか。



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