インフレについて考える(その6)…「英国年金危機」瀬戸際の回避

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 2022年9月30日の日経新聞に「英国年金危機」瀬戸際の回避のニュースが掲載されました。英イングランド銀行(中央銀行)が英国債の購入に突如、転換したとのことです。電撃的な買い入れに踏み切ったのは、年金基金が破綻する事態を避けるためでした。低金利を前提にリスクが潜む運用に傾斜した年金が、国債価格の急落で資金難に陥り、低金利下でたまったひずみが歴史的なインフレであぶり出された格好です。超低金利が続く日本にも危機の芽が潜んでいる可能性があります。

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 「市場の機能不全が続いたり悪化したりすれば英金融システムに重大なリスクになる」。イングランド銀は2022年9月28日公表した声明で、国債価格の下落(利回りの上昇)への危機感をあらわにしました。英中銀は残存期間20年超の銘柄を対象に、市場からの国債購入を始めました。10月14日まで毎営業日、市場の安定に必要と判断すれば金額無制限で実施する予定です。初日は10億2510万ポンド(約1600億円)相当を買い入れました。



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 トラス政権が9月23日に大規模な減税策を発表した後、インフレや財政悪化への不安から国債が大量に売りに出され、英国債利回りは急騰(価格は急落)しました。年金基金などが運用する30年物国債は3%台後半から一時5%強まで跳ね上がっていました。イングランド銀は9月22日に発表したばかりの国債売却の方針を延期して買い支えに動きました。本来ならばインフレ対応のために国債を売却して価格を下げ利上げに動く予定でした。ところが市場が財政悪化への不安から、国債が売られて価格が急落したため金利が跳ね上がってしまいました。そこで反対に国債を買うことにより価格を上昇させ、利回りの低下を狙ったわけです。

 危機は瀬戸際だったとの見方があります。英紙フィナンシャル・タイムズは2022年9月29日付で、英中銀に警告の手紙を送った運用機関によるコメントを伝えています。それは「買い入れ措置がなければ超長期債の利回りは7~8%まで上昇した可能性がある」というものです。今回、苦境に直面したのは「ライアビリティー・ドリブン・インベストメント(LDI=債務主導投資)」と呼ばれ、英国の確定給付年金に普及する運用戦略です。LDIとは年金給付と現金収入がマッチするように工夫されている商品で、債券や株のような通常の運用資産だけでなく、デリバティブ(金融派生商品)を活用するものでした。変動金利を払って固定金利を受け取るスワップなどを使っています。

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 英年金では2005年ごろから普及しはじめ2010年代に広がりました。低金利下で債券運用のリターンを稼げないので金利スワップで補完し、全体としてリターンを確保するという考え方です。デリバティブで利益を高めようと「レバレッジ」が高まっており、英年金当局の調査によると7倍に及ぶ年金もあるようです。金利の急騰はLDI運用の危機につながりました。金利スワップの評価損が膨らんだうえに国債など担保価値も目減りし、取引相手方の金融機関にマージンコール(追加担保の差し入れ要求)を突き付けられました。年金は追加担保のために国債売却を余儀なくされ、さらに国債利回りが上昇する悪循環にありました。英投資協会によるとLDIの運用規模は2020年時点で1.5兆ポンドと大きく、影響が甚大になりかねませんでした。

 トラス首相は9月29日の英BBCラジオで、大規模減税を柱とする経済対策について「正しい計画だ」と訴えました。国内外から批判を受けても、対策の骨格を変えない姿勢を示しました。発言を受けて国債利回りはやや上昇しました。市場には、減税策を強行する限り国債の売りは止まらないとの見方もくすぶっています。

LDIの考え方

 年金負債は長期にわたる給付債務の現時点での評価額ということになります。理論的には、その時点の市場金利を用いて割り引くことで現在価値を求めることになります。市場金利は年金債務が長期にわたるものであることを考えますと、長期国債の利回りを用いるのが普通と言えます。一般的な確定給付型の年金制度の場合では、金利が1%上昇または下落した場合、年金負債は15%~20%減少(増大)すると言われています。

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 年金負債は企業が従業員に対しては長期債を発行しているようなものですから、これと同じ性質を持つ長期債を資産側に組み入れることで、負債と資産がバランスすると考えられます。金利が上昇すればお金の価値が上がり、資産側の価値が低下すると同時に負債の評価額も減少します。金利が下落すれば逆のことが起こります。従って、長期債を資産側に組み入れることで、金利の上下にかかわらず、積立比率(資産/負債)を安定化させ、不足金や剰余金の発生を抑えることができます。これがLDIの基本的な考え方です。

 長期債利回りの変動が年金負債の変動に直結するのがLDIで、年金の積立比率の変動リスクを管理するということがLDIの特徴となります。一方、資産または負債の市場リスクを総合的に管理する年金ALMもあります。LDIが年金負債の現在価値の変動にマッチさせようとするのに対し、年金ALMでは年金資産を運用しながら将来の給付に引き当てて行った場合、給付を充分に満たすためにはどう運用すべきかを考える手法です。つまり、LDIと年金ALMには、給付と運用を比較する基準が現在価値にあるのか、将来のキャッシュフローそのものにあるのかといった違いがあります。

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 英国のような年金危機は広がるのでしょうか。「英国は終身年金のため年金の負担が重い」という特別な事情があります。年金の債務が大きくデリバティブで資産を底上げする必要がありました。LDIは日本などでは普及していません。ただ、低金利のひずみが急速な金利上昇で露呈しやすくなっている状況は各国に共通しています。欧州ではイタリアの国債利回りが急騰しています。金融引き締めと大衆迎合主義(ポピュリズム)の色が濃い右派政権の誕生で、低金利下で覆い隠されてきた財政問題に、再び焦点があたってきました。最も低金利の期間が長い日本は、異次元緩和前と比べ普通国債残高は300兆円ちかく増え、家計でも変動金利で住宅を買う人が増えました。「英国のように財政出動によるインフレ懸念が強まると、日本国債や円への売り圧力がさらに高まる」との指摘もあります。英国のような危機の種が埋もれている可能性があります。

 インフレを抑える目的で英国も中銀が利上げを進めています。しかし、ここにきてその悪影響が噴出した形です。国債を大量に買い入れている世界の年金基金などはここ暫く混乱が続く様相です。皆さんはどう思われますか。



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