インフレについて考える(その7)…英国年金基金のスワップ取引でのトラブル
経 緯
2022年9月30日に発表のあった「英国年金基金の危機」では、英国での金利の急騰がLDI運用の危機を引き起こしました。金利スワップの評価損が膨らんだうえに国債など担保価値も目減りし、取引相手方の金融機関にマージンコール(追加担保の差し入れ要求)を突き付けられました。年金は追加担保のために国債売却を余儀なくされ、さらに国債利回りが上昇する悪循環にありました。英投資協会によるとLDIの運用規模は2020年時点で1.5兆ポンドと大きく、影響が甚大になりかねませんでした。
今回は英国年金のLDI運用におけるスワップ取引でのトラブルを追いかけてみます。
LDI運用
年金負債は企業が従業員に対しては長期債を発行しているようなものですから、これと同じ性質を持つ長期債を資産側に組み入れることで、負債と資産がバランスすると考えられます。長期債を資産側に組み入れる際にスワップ取引を活用し、しかも大きなレバレッジを効かせて行っていたわけです。
金利スワップ取引
先物、オプションと並び、デリバティブの中の基本取引とされるのがスワップです。スワップは「交換」の意味ですが、資産の運用によって受け取るべき金利や通貨を交換したり、あるいは、おカネを借りることで支払う金利や元本を交換したりする取引を、スワップと総称しています。通貨、金利、債券など、やはり多様な試算取引がスワップの対象になっています。スワップについてのオプションを売買するスワップオプションという取引もあります。
今、A社とB社の2つの企業が、同じ1億円のおカネを同じ5年間借りる計画をしているものとします。日本には多数の企業がありますから、ちょうど例になるような2つの企業をみつけるのは、それほど難しいことではないと思われます。ここでは、A社は超優良企業であり、信用が高い分だけ低い金利でおカネが借りられる一方、B社は中堅企業であり、A社より信用が劣る分だけ高い金利でないとおカネが借りられないものとします。
この両企業がおカネを5年間借りる時の方法には、5年間の金利が一定で変わらない固定金利での借入と、その時々の金利の変動に応じて、3ケ月ごとに金利が見直しになる変動金利での借入の、2つがあるものとします。両社が固定金利と変動金利のそれぞれで、どんな金利が適用されるかを示したものが下表です。金利はすべて年率で表示されています。5年間の固定金利であれば、A社は毎年4%の金利で、B社は毎年8%の金利で借入ができます。B社に適用される金利がA社の2倍にもなっているのは、5年間の長期にわたって金利を固定するような借入では、企業の信用力の差が大きく出るからです。
一方、金利も毎日変動していますが、「銀行が3ケ月の貸し借りの際の基準としている金利」を基準金利と呼ぶことにして、変動金利の場合には、基準金利に何%かをプラスした金利が適用されるものとします。表の例では、A社は基準金利+1%で、B社は基準金利プラス2%で借入ができます。すると、たとえば今の段階での基準金利が2%なら、A社は3%で、B社は4%で借入できますが、しばらくして基準金利が上昇して7%になったりすると、A社は8%、B社は9%の金利を支払う必要が生じます。逆に基準金利が下がれば、支払う金利は減ります。ここで、両者の金利の差が1%なのは、変動金利の借入は短期的な借入をつないで行く形になり、短期の借入となると、信用力の差がさほど大きくは反映しないためです。
そして、基準金利がまだまだ下がると予想しているA社は、変動金利での借入を望んでおり、B社の方は、金利の変動のリスクがない固定金利での借入を望んでいるものとします。このとき、A社とB社が金利の支払いを交換する金利スワップを行うと、両社ともに、より低い金利でおカネが借りられます。
そのためには、本当は変動金利の借入を望んでいるA社が、とりあえず固定金利で借入をし、逆に、本当は固定金利が希望のB社が、とりあえず変動金利で借入をします。そのうえで、両社が金利の支払いだけを交換(スワップ)するのです。両社の借入は、金額が1億円で期間が5年という点が一致していますので、あとは金利だけを交換して、A社はB社の払うべき変動金利を支払い、B社はA社の払うべき固定金利を支払うことにすれば、事実上、A社は希望の変動金利で、B社も希望の固定金利で借入ができたことになります。ただし、単純に金利を交換するのではなく、少し金利を調整し、A社は、B社に基準金利+1%を支払い、その代わりに、B社から6%の固定金利を受け取るものとします。
上図に金利の支払いと交換が図示されています。
A社は、とりあえずは固定金利でおカネを借りましたので、固定金利を支払う必要があり、これは4%です。金利の交換では、B社に変動金利を支払い、固定金利を受け取ります。そこで、A社が支払う金利を足し、そこから受け取る金利を引くと、借入にかかった金利が差し引き何%なのか、計算できます。この計算も表1の下に書いてあります。4%に基準金利プラス1%を足し、6%を引きますから、最終的にA社は、差し引き基準金利マイナス1%を支払うことになります。この金利スワップがなければ基準金利プラス1%だった金利が、基準金利マイナス1%に下がり、2%低い金利で借りられました。
B社についても同様に計算すれば、まず最初に変動金利で借りていますので、基準金利プラス2%を支払い、A社との交換で6%を支払って基準金利プラス1%を受け取りますから、差し引き7%の固定金利を支払えばいいことになります、ふつうに固定金利で借りれば8%でしたから、1%低い金利で借りられたことになります。
一見すると、図の条件なら、超優良企業のA社は固定でも変動でもB社より低い金利で借りられるものですから、B社と金利を交換してもメリットなどないように感じられますが、しかし、固定でも変動でも信用力において絶対的に優位にあるA社ですが、その優位の幅がちがうため、それを利用してB社とスワップをすることで、さらに金利を低くできるのです。
英年金基金の損失資産
英国の年金基金は、1.5兆ポンド(1ポンド=161円で242兆円)もの金額をLDI(ライアビリティ・ドリブン・インベストメント)と呼ばれる金利スワップ取引で、レバレッジ7倍で運用していました。英国ではこのところインフレや財政悪化の影響を受けて、英国長期利回りは急騰(価格は急落)し、年金基金などが運用する30年物国債は3%台後半から一時5%強まで跳ね上がり、7~8%まで上昇する可能性もあると言われていました。ここではもし7%まで長期利回りが上昇した際の英国年金の損失を計算にて予測してみます。
まず、通常の場合と今回の場合の金利設定表を示します。通常は固定金利が4%、基準金利が2%と想定します。英国年金基金の利得は、基準金利2%、変動金利3%(基準金利+1%)となり、スワップの基礎式で算出すると(基準金利-1%)で、1%の金利支払いですむはずでした。スワップをすることによって1%分が利得として入ってきます。
しかし、今回の金利上昇で基準金利が2%から7%に上昇したため、(基準金利-1%)の値の6%を納付しなければなりません。スワップ取引で予定していた1%に比べると6倍となりました。しかもこれにレバレッジが効いてきます。米JPモルガンの2022年10月13日のリポートでは、英トラス政権の大規模減税策などをきっかけとした金利上昇による英年金基金の損失は、最大1500億ポンド(約25兆円)になったとみられることが明らかとなりました。年金基金は損失に伴う支払いのために、債券や海外株式を売却したといいます。
安全だと思っていても何が起こるか分からないのが、金融の世界です。今回の英国年金基金では、異常な金利上昇により金融機関からマージンコールを突き付けられました。しかし、英国中銀が対応してくれましたので一時的な損失で済みました。それでも基本となる金額が大きいので、マージンコールによる損失額も大きなものとなりました。年金基金にとっては大きいダメージとなったようですが、皆さんはどう思いますか。