金利操作テクニック(その2)…FRBの金融政策とイールドカーブの相関

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 イールドカーブ「金利曲線」の形状を決定するのは、金融政策であると言われます。今回は大槻奈那著「債券と金利」を参考に、イールドカーブの変化が鮮明に現れている事例を紹介します。1980年代後半から1995年代にかけての米国のイールドカーブについての説明となります。

イールドカーブとは

 良く使用される債券投資戦略として、イールドカーブ戦略があります。イールドカーブの形から値動きを予測して投資する方法です。イールドカーブとは「金利曲線」のことです。例えば、長期金利と言えば「10年国債利回り」のことですが、金利は10年国債利回りのみではありません。翌日物(オーバーナイト)から、3ケ月、6ケ月、1年、2年と繋がり、長いものだと、日本の場合10年、20年、30年、そして最長は40年となります。

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 つまり、これら年限別の金利という「点」を、「線」でつなげることによってつくられる曲線が、イールドカーブです。債券市場は、「点」でなく、「線」、すなわちイールドカーブで理解することが重要です。このイールドカーブの形を見て、期限ごとの債券の動きを予測しながら投資して行くのが、イールドカーブ戦略です。注目したいのは、短期金利のほうが長期金利よりも低くなっていることです。これを、「順イールド」といいます。

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 ここ最近、各国のイールドカーブは「順イールド」が一般的です。手元資金の枯渇リスクは全ての人間や企業にとっての死活問題となります。 そのことが根底にあるので、多くの人や企業はその持てる資金の大部分について長期で運用することを躊躇します。 一方で同じ理由から、少し多めのコストを支払っても長期の安定的な資金を確保しておきたいと思う個人や企業がいたりもします。 そういった需給関係があることによって、短期金利よりも長期金利の方が高くなる現象が発生することになります。

米国の金融政策(1980~1995年)とイールドカーブ

 イールドカーブの形状を決定するのは、金融政策であるといっても過言ではありません。ここでは、イールドカーブの変化が鮮明に現れている、1980年代後半から1995年にかけての米国のイールドカーブを見ていきます。
 
「金融引き締め期」

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 下図は1989年6月のイールドカーブです。短期金利が長期金利を上回っているのがわかります。これを「逆イールド」といいます。1989年の米国は景気が好調で、やや過熱気味に推移していました。そこで、グリーンスパンFRB議長のもとで、金融引き締めが行われたのです。政策金利の引き上げでまずは短期金利が上昇するのに対し、長期金利は、金融引き締めによる景気鈍化を予想して低下することで、「逆イールド」の形が現れます。金融引き締め期においては、イールドカーブが「逆イールド」になることは珍しくありません。

 従って、逆イールドは、市場が金融引き締めで将来の景気の鎮静化を予想していることから発生します。これは、金融政策が効いている証拠です。だからこそ、長期金利が短期金利よりも抑制されているのです。ここで金融引き締めとは、「金利を引き上げることで、投資家が銀行から融資を受けて債券を買う行動を押さえること」です。

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「金融緩和期」

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 この後、金融緩和が実施され、そこから、1992年までに長期にわたる金融緩和がスタートしたのです。そして1990年の夏、イラクのクウェート侵攻を機に湾岸戦争が勃発しました。そして、米国内ではS&L(Saving and Loan Association)と呼ばれる貯蓄金融機関の経営悪化が問題になっていました。彼らが保有するジャンクボンド市場で値崩れが起こり、景況感が一段と悪化したのです。

 これを受けて、グリーンスパンFRB議長は段階的に利下げを実施した結果、オーバーナイト金利は9.75%から3.00%まで引き下げられました。下図は一連の最後の利下げが実施された1992年9月と1989年を比較したものです。1989年と比較すると、きれいな「順イールド」に戻っていることがわかります。

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 この様に、金融引き締め時、すなわち金利引き上げ時には、逆イールドカーブが現れ、金融緩和時、すなわち金利引き下げ時には順イールドカーブが現れると言えるようです。

 1992年後半には、世界的な不況が一段落して、米国経済も落ち着きを取り戻し始めました。しかし、ただちに金融引き締めというわけにはいきませんでした。当時の米国経済は様々な課題を抱えていたからです。1992年の大統領選で、これまでの共和党ブッシュ大統領に代わり、民主党のビル・クリントン大統領が選任されました。彼が最初に着手したのが「財政再建」です。これを提案したのが、実はグリーンスパンFRB議長でした。グリーンスパンは米国の長期金利が高止まっていることに懸念を抱いていました。そして、クリントン大統領は、グリーンスパン議長の金利の引き締めを先送りにする提案を受け入れたのです。

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 1993年の上下両院合同会議で、ヒラリー・クリントン大統領夫人とティッパー・ゴア副大統領夫人にはさまれて着席しているグリーンスパン議長の姿が映し出されました。これが象徴するように、クリントン政権が増税による財政再建を着手する代わりに、FRBは金利の引き締めを先送りにすることで援護射撃を行う、という連携がとられたのです。ウォール街出身である、ロバート・ルービン財務長官も財政再建の重要性を訴えて、連携する形で長期金利が大きく下落していきました。そうした結果、下図のように、ヒーリング期においては、短期ゾーンの金利低下余地がなくなり、結果、長期金利の低下が遅れて発生することが多いのです。

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「金利引き締め期」

 最後は再び金融引き締め期です。景気がようやく回復し、インフレ懸念が台頭し始めると、いよいよヒーリング期が完了して、金融引き締め期に戻ります。米国の1994年初頭が、まさにそのようなタイミングでした。設備投資や個人消費が回復し、長期金利の低下が奏功して、住宅着工件数も年率130万戸とひさしぶりに元気を取り戻してきました。
 
 当時、「クレジットランチ」という言葉が流行っていました。銀行が貸し出しを絞るなどして、金融が逼迫して、消費者や企業が融資を受けにくくなる状況のことです。しかし、住宅市場が回復しているのを見ても明白なように、ようやく信用逼迫が緩和されて金融が回り始めました。そうなると、もう「過度の景気刺激型」の金融政策を維持する理由は乏しくなります。

 1994年2月4日、FRBはFF金利の誘導目標を0.25%引き上げ、5年ぶりに金融引き締めを実施しました。グリーンスパン議長は自らの著書のなかで「前回からの利上げからかなりの期間がたっていたので、わたしは利上げのニュースで市場が動揺するのを恐れていた」と述べています。しかし、実際にはそれほど大きなマイナスの影響はなく、利上げは1995年の2月まで計8回続けられ、FF金利は3%から6%まで上昇しました。その時のイールドカーブの変化を示すと図のようになります。短期金利ゾーンが大きく上昇して、イールドカーブのフラット化が進んでいます。

 これだけ、金融を短期間に引き締めると、さすがに影響が生じてきます。1995年末にはメキシコの対外債務問題が表面化してきました。結局、1996年2月の利上げがこの金融引き締めサイクルの最後となりました。

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 以上の米国のパターンをまとめると図表のとおりになります。基本的には、金融引き締め期はフラット化、金融緩和期はスティープ化するのですが、金融緩和の後期(ヒーリング期)においては、イールドカーブがフラット化するという点が大きなポイントです。

 債券は性格が株式とは異なりますので、その扱い方も異なります。しかも、取り扱い量が余りにも大きいので、日本人にはあまり親しみがありません。しかし、現在は、我々日本人は、自分の国の行く末を認識していなければならない時に来ており、国債の扱いにもっと注力して行くべきと思いますが、皆さんどう思われますか。



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