金利操作テクニック(その6)…戦後日本の金利動向の特徴

 ここまで、米国の金利動向を見てきましたので、今回からは日本に目を移します。まず初めに戦後日本の金利動向の特徴を理解しておきたいと思います。

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日本のマクロ経済にみる戦後の歴史

バブル崩壊(1991年~1993年)以前のマクロ経済

 1991年(平成3年)から1993年にかけてバブルが崩壊するまでは、金利は今よりもはるかに高い水準でした。景気の良い時やインフレの時は金融引き締めで金利が高く、景気が悪い時やインフレ懸念が少ない時は金融緩和で金利が低く、といった変動はありましたが、一番金利が低い時でも、下図から判りますように今よりははるかに高い状況でした。

 理由の1つには、物価上昇率が今より高かったことがあげられます。金利は物価上昇率の影響を強く受けます。というのは、日銀が金融政策を考えるとき、最初に考えるのは「金利を物価上昇率並にするか、それより高くするか、低くするか」ということだからです。今の日本で金利が10%だったら、厳しい金融引き締めとなりますが、物価上昇率が20%の国があったとして、金利が10%だったら金融緩和となります。人々は、金利10%で借金をして、来年使う予定のモノを買い急ぎするでしょうから、いっそうインフレになるでしょう。

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 つまり、日銀が重視しているのは「(金利)-(物価上昇率)」なのです。これを「実質金利」と呼びます。これとの対比で物価上昇率を引かない金利を「名目金利」と呼ぶ場合もあります。また、バブル期までは、不況期といえども今よりは資金需要がありました。人々は、日本経済が長期的に成長していくと考えていたため、金利が下がったら借金をして将来のために工場を建てよう、と考える企業も多かったのです。そこで日銀は、少しずつ金利を下げていきましたが、金利が下がり切る前に景気が回復を始めた、というわけです。

バブル崩壊(1991年~1993年)以降のマクロ経済

 1993年のバブル崩壊後は、状況が一変します。バブル崩壊から数年で金利がゼロ近くまで下がり、そのまま現在までゼロ近辺での推移を続けています。物価が上がらなくなったこと、資金需要が弱いのでゼロ金利でも景気を回復させることが難しいこと、などがその要因となっています。

 この様に日本は、1990年に入って土地と株式投機のバブルが崩壊してから今日に至るまでの30年間、日本政府はこれでもかこれでもかと景気対策の予算を計上してきました。そのかたわらで、日銀は超低金利政策からゼロ金利政策へと踏み込み、国債買い入れなどで巨額の資金供給を続けてきました。とりわけ、2013年に黒田東彦総裁となってからの金融緩和政策はすさまじいものがあります。日本では政府も日銀も、マネタリズム理論を完璧なまでに政策へ落とし込んできたわけです。それだけでは収まらず、主として米国の経済学者などが唱える新しい(MMT理論)理論の実験場とも化してきました。

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 しかしながら、さっぱり効果は現れて来ませんでした。バブル崩壊して30年が過ぎます。その間、日本経済はずっとジリ貧と長期低迷に喘いでいます。一方、景気対策などの財政支出拡大で、国の借金は1,159兆円にまで膨れ上がりました(財務省、2020年6月末現在)。アベノミクスでデフレ現象を克服したのでしょうか?これだけ大量に資金をばら撒けば、さすがにデフレ現象の進行は食い止められます。しかし、いまだ日本経済に活力が蘇って来ません。それが現実です。

 もちろん、世界最速のスピードで少子高齢化が進んでいるといった、経済外のマイナス要因もあります。さりながら、ゼロ金利政策ならびに、いくらでも資金を供給しようとする金融緩和とで、果たしてどこまで経済活動を活性化できるのでしょうか。経済活動の活性化どころか、企業経営全般をやたらと弛緩させてしまつた面は否定できません。金利はゼロ同然で、いくらでも資金が借りられます。そういった事業環境では経営が鍛えられるはずもありません。

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 現に、生産性の低さなど日本企業の国際競争力は、見る影もなく落ちてきています。国の予算バラ撒きに甘えるゾンビ企業が増えるなど、企業が果たすべき役割である社会に富を生み出す力を弱めてしまっています。それでは、経済もジリ貧をたどるしかありません。

日銀の金利政策の歴史

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 日本銀行は1994年9月まで公定歩合を操作していました。公定歩合とは、日銀が決定していた民間銀行にお金を貸し出す際に適用される金利です。かつて日本の民間銀行の金利(市中の金利)は、この公定歩合と連動することが規制されていましたので、日本銀行は金融政策によってこの公定歩合を引き上げたり引き下げたりして、市中金利を上げたり下げたりしていました。1994年10月の民間銀行の金利自由化に伴い、日本銀行が公定歩合で民間銀行の金利を維持することができなくなりました。よって、日本銀行は1995年から短期金融市場を誘導するオペレーション(公開市場操作)を通じて金融市場調節を行うようになりました。

 1998年以降は「無担保コール翌日物金利を何%前後で推移するよう促す」といった「誘導目標」を示す金融市場調節方針へと移行しました。つまり、日本の中央銀行である日本銀行は「金利を決定する立場」ではなくなり、「金利を誘導する立場」となったのです。この金融政策を実行するための誘導目標となる金利が政策金利です。

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 無担保コール翌日物金利とは、「無担保コールレート(オーバーナイト物)とも呼ばれる「コール市場」で金融機関同士が無担保で短期資金を借り、翌日返済する取引で適用される金利です。日本では現在、この「無担保コール翌日物金利」が日本の短期金利の指標となっており、この「無担保コール翌日物金利」が日本の政策金利の役割を果たしています。

 コール市場とは、民間銀行同士がお金を貸し借りする市場のことです。民間銀行はお金を金庫に入れておいてもそのお金で利益を得ることはできませんので、民間銀行はお客様に預金してもらったお金を運用して(貸し出して)利益を得ています。つまり、民間銀行は普段、あまりお金を持っていないのです。ただ、銀行ですので大口の出金があります。その際、お金がないので他の民間銀行にお金を貸してもらっています。この民間銀行同士でお金のやりとりをする市場が「コール市場」です。

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 民間銀行同士は、共に信用があります。加えてこのお金の貸し借りは、概ね1日だけの貸し借りになりますので、コール市場では金利は取りますが担保は取りません。これを「無担保コール翌日物」といい、この際に適用される金利が「無担保コール翌日物金利」です。現在では、日本銀行がこの「無担保コール翌日物金利」に介入して金利を誘導しています。

ゼロ金利政策

 日本ではバブル崩壊後、最悪の経済状況を勘案し、1999年から2000年にかけて「ゼロ金利政策」が実施されました(無端穂コール翌日物金利を0.15%に誘導することを決定)。この時から金融市場調節方針は「無担保コール翌日物金利をできるだけ低目に推移するよう促す」こととされました。

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 このゼロ金利政策は2000年のITバブルで一旦解除されましたが、2001年のITバブル崩壊で再度実施されました。この時に量的緩和政策(QE)も開始され、金融市場調節の操作目標は無担保コール翌日物金利から、日本銀行当座預金残高に変更されました。そして、ゼロ金利政策は2006年の景気回復で一旦解除され、この時に量的緩和政策も解除されたため、金融市場調節の操作目標は再び無担保コール翌日物金利へと移行しました。

 その後2008年のリーマンショックを機に、再度無担保コール翌日物金利を0.1%に誘導することを決定しました。2013年には「量的質的金融緩和(QQE)が開始され、金融市場調節の操作目標は無担保コール翌日物金利からマネタリーベースに変更されました。

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マイナス金利・イールドカーブコントロール

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  2016年にはマイナス金利政策を実施(マイナス金利付き量的質的金融緩和)、政策金利とは日本銀行当座預金のうち「政策金利残高」に-0.1%のマイナス金利を適用することが決定されました。同年9月に導入された「長短金利操作付き(イールドカーブコントロール付き)量的質的金融緩和」で金融市場調節方針は、長短金利(長期金利と短期金利)の操作(イールドカーブコントロール)についての方針を示すこととなりました。

 2020年4月に日本銀行は「金融緩和の強化」を決定。イールドカーブ全体を低位で安定させるため、長期国債、短期国債を積極的に買い入れるとし、長期金利の操作方法については「10年物国債金利がゼロ%程度で推移するよう上限を設けず必要な金額の長期国債の買い入れを行い、金利は経済・物価情勢に応じて上下にある程度変動しうるものとする」としました。

 2021年3月には2%の物価安定の目標を実現するため、平素は柔軟なイールドカーブコントロール運営を行うため、その変動幅は±0.25%程度であることを明確化しました。

 日銀は世界では手を付けないイールドカーブコントロール政策を採用し、日銀の大規模負債を抱かえる状況になってきたわけです。この負債処理する出口戦略がどうなるのか興味津々です。皆さんはどう思われますか。



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