金融操作テクニック(その13)…日銀植田新総裁の課題とは

画像の説明

 黒田日銀総裁は2023年4月8日に人気満了を迎えるに当たり、2013年の就任からの10年間について「金融緩和は成功だった」と。そして市場機能の低下などの悪影響が指摘されるが「副作用の面よりも、経済に対するブラスの効果がはるかに大きかった」と総括しました。「やるべきことはやった」とも述べましたが、2%の物価目標は実現できていません。黒田氏は会見で「23年度半ばにかけて物価上昇率は低下し、2%を割る可能性が高い」との見通しを示しました。根強いデフレ心理が影響し「2%の物価安定の目標の持続的安定的な実現まではいたらなかった点は残念だ」とも話しました。

画像の説明

画像の説明

画像の説明

 日本経済の重荷だった円高や株安は修正された一方、超低金利に慣れきった政府や企業の改革は遅れました。異次元緩和の副作用が強まり、日銀依存は転機を迎えています。このような中、経済学者の植田和男氏が2023年4月9日後任に就きました。黒田氏は金融緩和を「経済、物価の押し上げ効果を発揮し、デフレではなくなった」と総括しましたが、10年間の緩和には副作用も残ります。今回は新旧総裁の言葉を比べて、新体制での金融政策の行方を占った日経新聞記事を紹介します。

画像の説明

金融緩和の評価

 黒田氏は2013年の就任直後から異次元緩和を始めました。市場に供給するお金の量を増やし、国債に加えて上場投資信託(ETF)を買い増すなど緩和策を動員しました。これは長く続いていたデフレ(景気が悪化して、物価が下落する状況)を打破するため、日銀は市場に流通する資金を供給して、金利の低下を誘導し、企業が資金調達を行いやすくすることを意図しました。その結果景気を刺激して、消費の増加を促し、その結果物価も上昇させることを狙った訳です。

画像の説明

 黒田氏は自身最後となった2023年3月の金融政策決定会合後の記者会見で「日本経済の潜在的な力が十分発揮されたという意味で金融緩和は成功だったと振り返りました。植田氏も緩和姿勢を当面維持するとみられます。2月、国会での所信聴取で現行政策を「目標の実現にとって必要かつ適切な手法だ」と評価し、「今後とも情勢に応じて工夫をこらしながら金融緩和を継続することが適切」と述べました。ただ「一方で様々な副作用が生じている」とも明言しました。

 植田氏は日銀審議委員だった2000年にはゼロ金利解除を決めた決定会合で反対票を投じており、拙速な修正とは距離を置くとみられています。植田氏は2022年7月に日本経済新聞の「経済教室」で「金利引き上げを急ぐことは、経済やインフレ率にマイナスの影響を及ぼし、中長期的に十分な幅の金利引き上げを実現するという目標の実現を阻害する」と指摘しました。

長短金利操作の効用

 植田氏は長期金利に上限目標を設定して誘導する「長短金利操作(イールドカーブ・コントロール=YCC)」の維持に懐疑的な発言もしています。2022年7月の「経済教室」では「引き上げが予想されて一段と大量の国債売りを招く可能性がある」と述べました。植田氏は今後については2月の所信聴取で「将来は様々な可能性がある。具体的なオプションの功罪については(発言を)控えたい」と含みをもたせました。

画像の説明

画像の説明

 可能性を考える上には、審議委員時代の植田氏の最大の貢献がフォワードガイダンス(FG, 金融政策の先行きを示す指針)の発案だったことが大きなヒントになると思います。1999年に世界で初めてゼロ金利政策を導入した際、日銀は「デフレ懸念が払拭されるまで」続けると約束しました。こうした将来の政策について約束することを当時は「時間軸政策」と呼びましたが、今では世界標準となっています。このFG導入を主導したのが植田氏でした。FGの実行には、中央銀行の約束を市場がどう解釈しているのか知ることが重要になります。その時に役立つのがイールドカーブ(利回り曲線)の形状です。だが、これを管理すると大事な情報が失われます。そう考えると、植田氏が長期金利のコントロールを好まないことは容易に理解できます。結局、植田氏が目指す金融政策の姿は、超低金利と強力なFGの組み合わせという正統なものだとみられます。

画像の説明

2%物価目標

画像の説明

 持続的な物価上昇は緩和の出口を探る前提条件となります。10年間、緩和を続けても2%の物価安定目標を達成できなかった背景について黒田氏は「ノルム(社会通念)」という言葉を多用しています。2022年3月7日の退任会見では「賃金や物価が上がらないことを前提とした考え方やノルムが根強く残り、2%の物価目標の持続的・安定的な実現に至らなかったのは残念」と語りました。

 2%目標自体については、植田氏も「現在の物価目標の表現を当面、変える必要はないと考えている」と路線を引き継ぐ構えです。現在の物価の水準については「良い芽は出ているものの、まだ2%に安心して達するまでには時間がかかる」話しています。

大量の国債保有

 日銀は金利を低く抑え込むため大量の国債買いを続けてきました。黒田氏は大量保有の現状について3月の会見で問われると「何の反省もないし、負の遺産とも思っていない」と応じました。植田氏は2012年の寄稿で、「利下げ局面に政府の国債利払い費が急増」するリスクを指摘し、2015年には「日銀は長期国債買い入れオペの限界をそろそろ意識する必要がありそうだ」とも主張しています。

市場との対話

 黒田総裁時代には市場との対話の必要性を指摘する声が多くありました。植田氏は「時と場合によってはサプライズになることも避けられないが、平時から説明することで最小限に食い止めることは可能」と強調しています。

 「私の使命は魔法のような特別な金融緩和を考えて実行することではない」と語る植田氏に対し、市場はバランスの取れた金融政策を期待しています。新体制のもと、「適切なタイミングで」正常化を模索していくことになりそうです。

植田日銀新総裁の政治的対応

 2023年3月12日の日経新聞には、植田日銀新総裁の政治的対応に関するコメントが掲載されましたので、これも紹介します。

 日銀の次期総裁に決まった植田和男氏は金融緩和の修正などの難題を前に、政治との距離感が問われます。歴代総裁は円高やデフレを巡り、政府との間で対立と協調を繰り返してきました。黒田日銀総裁は安倍晋三政権時代、異例の蜜月関係を築きましたが、市場機能の低下や財政との一体化が負の遺産として残ります。政治と協調しつつ政策の自主性をどう確保するのか。この政治との協調は「学者総裁」率いる日銀新体制のアキレス腱にもなりえます。

 「非常に手堅い受け答えだった」と、国会の所信聴取での植田氏のやり取りを聞き、日銀関係者に安堵の声が漏れました。理論と実務に精通する植田氏。金融安定や国際規則に詳しい永見野良三氏。黒田緩和を知り尽くすプロパーの内田真一氏。新しい正副総裁は専門分野が補完し合うバランスの良い布陣との評価が高まっています。

画像の説明

画像の説明

 隙があるとすれば、現副総裁の雨宮正佳氏らが担ってきたとされる政治との調整経験の乏しさです。1998年4月に日銀の独立性を高めた新日銀法が施行されてからも、日銀と政治の関係は円高やデフレ対応を巡って大きく揺れ続けました。



 新日銀法下での初の総裁となった速水優氏は2000年8月、政府が再考を求めるなかゼロ金利政策の解除を強行し、政府との対立が決定的となりました。直後に海外景気が下振れし、01年3月には未踏の領域だった質的緩和政策への導入を迫られました。

 後任の福井俊彦氏は当初、機動的な追加緩和で政府との協調演出に努めましたが、06年に量的緩和を解除した際、官房長官だった阿部氏は日銀に強い不信感を覚え、大胆な金融緩和を柱に据えるアベノミクスの伏線となりました。

 福井氏の後任人事は政争を招きました。混乱の末に総裁に就いた白川方明氏はリーマン・ショック後、急激な円高に直面します。当時の民主党政権は日銀にデフレや円高の対応を求めて圧力をかけました。白川日銀は「緩和に消極的」との批判を最後まではねのけられませんでした。

画像の説明

 2012年12月。大胆な金融緩和を掲げて自民党総裁に復帰した安倍氏が、総選挙でも大勝して政権を奪還しました。退任直前の白川氏は圧力に屈するかたちで、政府との共同声明に応じ「できるだけ早期の2%インフレ目標の達成をめざす」と掲げました。安倍氏は後任の総裁に日銀を強く批判してきた黒田東彦氏を起用し、国債を大量に買う異次元緩和を起動させました。「2年で2%の物価上昇」を旗印に円安・株高を生み、政府と日銀は異例の蜜月関係を築きました。

 「2年で2%」の約束は果たせず、黒田日銀は修正を繰り返して異次元緩和の延命を図りました。岸田文雄政権下では関係にも変化が訪れました。世界的にインフレ圧力が高まった2022年、長期金利を固定する長短金利操作(イールドカーブ・コントロール、YCC)と呼ぶ緩和の枠組みは、急激な円安進行の一因となりました。硬直的な政策運営には政府・与党内から異論が出て、長期金利の変動幅を広げる12月の緩和修正にもつながりました。

画像の説明

 植田日銀は政治との適正な距離感が問われます。長きにわたる政治との蜜月関係のもと日銀は発行済み国債の半分を買い占め、金融政策と財政の一体化が進みましだ。日銀の安定的な国際購入なしには財政運営が成り立たない状況になりつつあります。内外情勢の変動を無視して長期金利を低く抑え込むYCCの仕組みは、債券市場の機能を低下させるのと同時に、円相場を急変動させるリスクをためこみます。植田氏もYCCに「様々な副作用を生じさせている面は否定できない」と語っており、副作用の軽減は植田日銀の優先事項となります。

 問題は、長期金利の制御を緩めれば、円安懸念は薄らぐ半面、金利急伸のリスクが高まりかねないことです。政府・与党は円相場の安定に期待する一方、国債の元利払い負担が重くなる長期金利の急上昇は避けたいわけです。状況次第で日銀に対する姿勢も変化する可能性があります。植田日銀は市場との対話能力とともに政治との高度な調整能力が試されそうですが、皆さんはどう思われますか。



コーディネーター's BLOG 目次