為替問題と貿易事業(その7)…「新しい貿易立国」構築急げ

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 今回は、2023年6月1日の日経新聞に掲載された、松林洋一氏の「新しい貿易立国構築を急げ」という記事を紹介します。

 2022年度の経常収支黒字(速報値)は9兆2256億円で、前年度比54%減少しました。資源高や円安により貿易赤字が約18兆円に拡大したのが主因です。今後経常収支がさらに悪化し、赤字化するのではないかという懸念も生じつつあります。

 本稿では現状を丁寧に把握したうえで、経常収支悪化の経済的意味や今後の動向について検討し、日本経済の課題を考えています。経常収支は高度に集計化されたマクロ変数であり、その動きだけを見ていても理解が難しいと言えます。経常収支を複数の側面からとらえるとともに、短期および中長期の視点から見ることで考察しています。

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 経常収支は、海外との貿易や投資といった経済取引で生じた収支を示す経済指標です。自動車などモノの輸出から輸入を差し引いた貿易収支、旅行や特許使用料などのサービス収支、海外からの利子や配当を示す第1次所得収支、政府開発援助(ODA)などの第2次所得収支からなります。さらに、経常収支に企業の買収や株式投資など金融資産の動きを示す「金融収支」を加えたものが国際収支となります。

 財務省が毎月統計を公表しています。日本は長らく経常黒字が続いていますが、かつて黒字をけん引した貿易収支は2000年代から黒字幅が縮小し、2011年から2015年までは赤字に転落しました。

 下図に示しますように、2005年からは第1次所得収支が貿易収支の黒字を上回り、投資収益が日本の経常黒字を支える構図が強まっています。貿易収支は輸入額の増加が赤字に直結します。原油や天然ガスなどのエネルギー資源の大半を海外に依存する日本は、資源価格の高騰が経常収支の圧迫につながりやすいと言えます。

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 下図は部門別の貯蓄投資バランスの推移を示したものですが、国内(家計、企業、政府)の資金過不足と経常収支の関係を把握できます。すなわち、

① 政府部門の貯蓄不足は、マクロ経済が大きく悪化した時期を除けばおおむね5%前後で推移しています。
② 家計部門の貯蓄超過は2010年代前半まで低下していたが、それ以降は緩やかに上昇しています。高齢者や女性の労働参加率上昇や、将来不安に伴う予備的動機により家計貯蓄が増えたためです。2020年度にはコロナ禍に伴い貯蓄超過は9%近くに急上昇しました。
③ 企業部門の貯蓄超過は1990年代半ばから増加が顕著でしたが、2010年代に入ると企業投資の緩やかな回復もありやや減少しています。
④ 経常収支黒字は足元で大きく減っていますが、2021年度までの貯蓄投資バランスの推移を見る限り、短期間で赤字に転じると即断することは難しいと言えます。ただし中長期的には赤字化する可能性はあり、赤字化の経済的意味や実現可能性に関する深い理解と検討が必要となります。経常収支は貯蓄投資バランスから見ると国全体の資金過不足と対応しており、一国の収入(所得)と支出(消費、投資)の差となります。企業が設備投資をする場合には、損益計算で設備投資額自体は当期の経費に計上されません。一方国の投資はその年に計上されますので、経常収支の赤字は企業の損益における赤字とは意味合いが異なります。「赤字だから損している」ということではありません。

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 世界には資金不足(経常収支赤字)の国もあれば、資金余剰(経常収支黒字)の国もあります。各国の資金過不足は、国際的な資金の融通により調整され、赤字国では海外借り入れでより多くの消費、投資が可能となります。投資の増加は、将来の生産や輸出を増やし、経常収支の改善につながります。つまり経常収支赤字は一国において現時点で資金不足の状態にあるということであり、稼ぐ力を失っている、あるいは経済成長が萎えているということではありません。民間や政府部門で生産的投資がなされ、所得や輸出が伸び、対外借り入れの返済見込みが立てば問題ありません。したがって「望ましい赤字」ともいえます。

 日本の経常収支の中長期動向をどうみればよいのでしょうか。貿易収支の赤字傾向は大きく改善するとは思われません。赤字拡大は短期的には資源高と円安による輸入額急増によるものです。ただし趨勢的には2010年代以降、輸出の伸びが鈍化している点が重要であり、この傾向は大きく変化しないと考えられます。所得収支の予測は難しいのですが、対外純資産は2021年末で411兆円と巨額で、投資収益が短期間で減少に転じる可能性は低いと言えます。

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 貯蓄投資バランスの側面から見た場合、民間部門の貯蓄投資バランスの動きが鍵となります。高齢化のさらなる進展は明らかで、家計貯蓄はライフサイクル的なメカニズムが明確に作用し始めれば、今後は趨勢的に減少して行くと考えられます。

 企業部門の貯蓄投資バランスは、国内の成長期待が鍵となります。企業貯蓄は期待成長率の低下や先行き不確実性の高まりにより上昇しますが、こうした要因は企業投資の抑制要因ともなり得ます。ただし構造的な人材不足のもとで、デジタル化対応を中心とする設備投資が持続的に増えて行けば、企業部門の貯蓄投資バランスは減少傾向となります。

 政府部門の貯蓄不足が大きく変化しなければ、民間部門の貯蓄超過の縮小傾向が顕在化することによりマクロ経済全体の貯蓄超過、すなわち経常収支黒字は中長期的に縮小傾向が鮮明となる可能性があります。赤字に転じるか否かは、民間部門の貯蓄超過減少の度合いや輸出の動向次第だと考えられます。
 
 日本経済の課題は対外的に稼ぐ力の源泉を柔軟にとらえることにあると言えます。表現を変えれば、貿易主導か投資主導かという二者択一でなく、両者が併存する「新しい貿易立国」の構築です。輸出と投資に関する既存概念からの脱却が不可欠となります。

 輸出については、第1に「貿易財産業=製造業」という固定概念にとらわれず、非製造業で多様な財の輸出を伸ばすことです。例えば農業、医療関連、社会インフラなどが挙げられます。

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 第2にサービス収支で赤字基調のコンピュータサービス、専門・経営コンサルティングサービスの海外収入を増やすべきです。これらは世界的にさらなる市場拡大が見込まれる分野です。

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  第3に訪日外国人客による支出はサービス輸出という点を再認識すべきです。例えば訪日外国人による日本での消費(インバウンド需要)や先端医療サービスの享受(医療ツーリズム)、外国人学生に対する教育サービスの提供(留学生教育)などです。オーストラリアでは留学生教育を主要輸出産業に位置付け、戦略的に留学生支援を展開しています。

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 投資については、第1に今後輸出の成長が期待される分野を中心に、国内企業投資を喚起させていくことです。特に脱炭素やデジタルは大胆な投資が望まれる分野でもあります。インバウンド需要関連の投資も有望です。

 第2に企業部門の貯蓄超過をもとに、成長期待の高い海外市場で新たなタイプの投資を大胆に伸ばしていくことが重要です。海外直接投資は海外子会社を新設する従来型のグリーンフィールド投資以外に、既存の海外企業を対象とするクロスボーダーM&A(合併・買収)の伸びが顕著です。今後は有望な海外市場に迅速かつ果敢に投資するクロスポーターM&Aの拡大が望まれます。

 経常収支の動向を過度に悲観することなく、「新しい貿易立国」の姿を真剣に構想すべき時と松林氏は考えておられますが、皆さんはどう思われますか。



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