地政学リスクの高まり…ロシアがウクライナ侵攻に踏み切った理由

 ロシアが2022年2月24日にウクライナに攻め込み、戦争が始まりました。ウクライナ市民の犠牲は増え続けており、国際社会からはロシアへの厳しい非難の声が上がっています。ロシアはなぜ、「兄弟国」とも言われた隣国に侵攻したのでしょうか。「ウクライナ危機」の背景をまとめました。

ウクライナの歴史

 ウクライナは東をロシアに、西を欧州連合(EU)の国々に挟まれた、人口4千万人を超える国です。面積は日本の1・6倍、耕地面積は農業国フランスの1・8倍もあり、小麦などがたくさんできることから「欧州のパンかご」とも呼ばれます。国旗の空色・黄色の2色は、青空と小麦の黄色い畑を表しています。

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 今の首都キエフに生まれた「キエフ公国」(キエフ・ルーシ)が10~12世紀に欧州の大国となり、同じ東スラブ民族からなるロシア、ウクライナ、ベラルーシの源流になりました。ルーシとはロシアの古い呼び方です。

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 13世紀のモンゴルによる侵攻などで、キエフ・ルーシは衰退。その後に栄えたモスクワがロシアを名乗り、キエフ・ルーシを継ぐ国と称しました。ウクライナは東スラブの本家筋ですが、分家筋のモスクワが台頭して大きくなった、ととらえることもできます。

 ウクライナの一帯はその後、さまざまな大国に支配され、1922年にソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)ができると、ソ連を構成する共和国の一つとなりました。1930年代にはソ連の圧制下で大飢饉(ききん)が起き、数百万人が亡くなったと言われています。

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 1986年にはキエフの北約110キロにあるチェルノブイリ原発で事故が起き、広い範囲の人たちに深刻な健康被害をもたらしました。ソ連が崩壊した1991年に独立を宣言。その後、国内では親ロシア派と親欧米派が対立を続けてきました。

 ロシア系の住民が2割ほどいます。ウクライナ語が国家語とされていますが、ロシア語を話す人も多くいます。文法的には似ていますが、語彙(ごい)に違いがあります。




ロシアによるウクライナ侵攻

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、ウクライナ側の激しい抵抗だけでなく、欧米諸国をはじめとする国際社会の強烈な反発を招きました。ロシアは世界から孤立し、経済制裁で大きな打撃を受けています。こうした大きな痛手を負うと知りながら、ロシアはなぜ、言語や文化が極めて近い「兄弟国」のウクライナへの攻撃に踏み切ったのでしょうか。

 「ロシア、そして国民を守るにはほかに方法がなかった」。ロシアのプーチン大統領は2022年2月24日、攻撃開始を宣言する演説でそう述べました。親ロシア派の組織が占拠しているウクライナ東部で、ロシア系の住民をウクライナ軍の攻撃から守り、ロシアに対する欧米の脅威に対抗するという「正当防衛」の主張です。ロシアは、東西冷戦の時代からの西側諸国の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)が自分たちを敵とみなしてきた、と主張してきました。

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 ウクライナはかつてロシアを中心とするソ連の構成国でしたが、ソ連が崩壊したことで独立。いまのウクライナのゼレンスキー政権は親欧米で、NATOへの加盟を目指しています。ロシアにとって、これはがまんがならない。そのため、いろんな理由をつけてゼレンスキー大統領を何とか武力で排除し、ロシアに従順な国に変えてしまいたいのです。ウクライナを影響下に置けば、地理的にもNATOに加わっている国々とロシアとの間のクッションにもなります。 

 しかし、戦争の代償の大きさを考えれば、攻撃の開始を理性的に判断したのかどうかは疑問が残ります。プーチン氏はかねて、ウクライナ人とロシア人は「歴史的に一体だ」と主張し、ウクライナを独立した存在として認めてきませんでした。そうした独自の歴史観や国家観が影響した可能性も否定できません。

ロシア大統領プーチン

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 ロシアの大統領として今回のウクライナ侵攻を始めたプーチン氏とは、いったいどんな人物なのでしょうか。69歳のプーチン氏は20年以上にわたって権力を握り、ロシア国内には、エリツィン政権時代に混乱した社会の安定を取り戻したとの評価があります。その一方で、ほかの国に対して軍事力を使うことも辞さず、国内の反対派を締めつけてきた姿が「独裁者」のイメージを形づくってきました。

 プーチン氏は1952年に、旧ソ連の第2の都市・レニングラード(今のサンクトペテルブルク)で、工場の熟練工の家に生まれました。早くからスパイになることを志したとされ、大学を卒業した後、旧ソ連の情報機関である国家保安委員会(KGB)に採用されました。

 1991年にソ連が崩壊した後、サンクトペテルブルク市の副市長、KGBの後継組織である連邦保安局(FSB)の長官などを経て、1999年に首相に就任。翌年の大統領選で初当選しました。2008年には後継指名したメドベージェフ氏の大統領就任に伴って首相に転じますが、4年後に大統領に復帰。18年には4選を決めました。

 ソ連崩壊後にロシアの経済は混乱しましたが、自国でとれる原油の価格上昇などを追い風にして経済を安定させたことは、ロシア国内での功績とされています。その一方で、周りの国々への強硬な姿勢で批判も浴びてきました。

 2008年に、ジョージアからの分離独立を求める南オセチアの紛争に軍事介入しました。2014年には、ウクライナで親ロシアの政権が倒され、親欧米の新政権ができたことに怒り、ウクライナ南部のクリミア半島を一方的に併合してしまいました。ロシアの国内では、プーチン政権に批判的な人権団体や独立系メディアを解散させるなど、言論の自由も弾圧してきました。10代のころから柔道に親しみ、離婚した前妻との間に娘が2人います。

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NATOとの関係

 ロシアはウクライナへの侵攻を、NATOの脅威に対する自衛措置だとも説明しています。プーチン氏は2022年2月24日の演説で「NATOはロシアを敵と見なしてウクライナを支援している。いつかロシアを攻撃する」と言い切っています。NATOは東西冷戦期の1949年、米英仏など西側陣営の12カ国が、旧ソ連や社会主義陣営に対抗するために結成した軍事同盟です。防衛を最大の目的とし、加盟国に対する攻撃は全加盟国への攻撃とみなして集団的自衛権を行使すると規定しています。

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 NATOに対抗するために1955年、旧ソ連を中心に結成されたワルシャワ条約機構は、冷戦終結を受けて1991年に解体されましたが、NATOはその後も存続しました。冷戦の終結に続くソ連の崩壊で、ロシアと互いに協力関係を模索した時期もありましたが、1999年以降、ソ連による侵攻や支配を受けた経験があるポーランドや旧ソ連構成国のバルト諸国などが、ロシアから身を守るためとして次々にNATOに加盟。現在は30カ国にまで拡大しています。2008年には、ウクライナやジョージアが将来的な加盟国と認められました。

 不信を募らせたロシアは「東方拡大しないという約束をNATOが破った」と主張し、ロシアへの直接的な脅威だとして対立姿勢を強めています。プーチン氏には「NATOにだまされた」との怒りがあるとも言われますが、ロシア側が主張する「約束」は文書に残っておらず、欧米側は否定しています。NATOが拡大を続けることの是非については、欧米でも議論があります。一方で、NATO側に全ての非があるとするロシアの主張にも無理があり、外敵をつくることで国内世論をまとめたいプーチン政権の思惑もありそうです。

ロシアへの対抗措置

 ウクライナへの侵攻を続けるロシアのプーチン政権の財源を断とうと、米国や欧州は厳しい経済制裁を科し、ロシア産の原油や天然ガス、石炭などの輸入も減らそうとしています。ただ、資源大国のロシアから各国への供給が大きく減れば、世界的なエネルギー価格の上昇につながり、その影響は日本の経済にも及びます。ロシアは天然ガスの輸出で世界1位、原油の生産では同3位。原油輸出だけで政府歳入の17%を稼ぎ、政権を支える財源としてきました。米国はロシア産の原油や天然ガス、石炭の輸入を禁じると決め、英国やEUもエネルギーの調達で「脱ロシア」を進める計画を公表しています。

 米国はシェールと呼ばれる、地中深くの硬い岩石の層からとれる原油や天然ガスが豊富で、自国で増産を進める方針です。一方、EUはこれまで、天然ガス輸入の4割をロシア産に頼っていました。ほかの調達先を増やし、再生可能エネルギーも活用することで埋め合わせをする計画ですが、供給が滞れば市民生活に大きく響きます。

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 日本は輸入エネルギーのうち、ロシア産が天然ガスで約8%、原油で約4%を占めています。世界全体の供給量に余裕がない中で輸入を制限すれば、日本経済にも相応の影響はあるだろうとみられています。

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 資源の輸入以外でも影響は出ています。日本ではロシアの領空を通る空輸が難しくなったことから、人気のノルウェー産サーモンの供給が不安定になっています。日本がロシアから輸入してきたカニやウニの品薄や値上がりのほか、ロシアとウクライナが世界に向けて輸出してきた小麦も世界的な値上がりが心配されています。

 2023年10月の時点で、プーチンは西側陣営の支援体制の崩れを待っていると言われています。現に、米国は下院議長が解任され、ウクライナ支援予算も成立していません。このままだと2ケ月持たないと言われています。この状況はプーチンが待っていたものだと、桜井よしこ氏は言っていますが、皆さんはどう思われますか。



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