地政学リスクの高まり(その11)…ロシアがもたらすグローバル化の曲がり角

 2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻により経済のグローバル化が転機を迎えています。西側とロシア、中国との「新冷戦」に各国や企業が身構え、人やモノの自由な移動が停滞する懸念が高まっています。さらなる分断に備え、乗り越える知恵はあるのかについて、異なる分野の第一人者の意見を紹介します。

伊藤忠商事の石井敬太社長の見解

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 1989年に冷戦が終結し、2001年に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟することで、その後20年間の世界経済は地球規模のサプライチェーン(供給網)がめざましく発展しました。現実には関税など様々な障壁は残ったものの、方向感としてはカネやモノが自由に往来する単一のグローバル市場が登場しました。世界中の企業が最適な国や地域で調達・生産・販売活動を行うことで、経済発展が加速するというビジョンです。

 ところがロシアのウクライナ侵攻で時計の針が一気に20年前、30年前に戻ってしまいました。以前から米中対立の激化など世界の抱かえる不協和音は徐々に大きくなっていましたが、ウクライナの事態のもたらしたショックは桁違いです。


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 今後、供給網の姿は大きく変わります。石油や天然ガスでは西側諸国の「ロシア外し」が始まっています。伊藤忠商事は石油開発プロジェクトの「サハリン1」に参画していますが、出資や日本への輸出を継続するかどうかは日本政府の判断に従うことにしています。ロシア進出は中東産原油以外の原油を確保するための1970年代に遡る息の長い国策事業ですが、先行きは不透明と言わざるを得ません。他にも小麦をはじめ食料価格も高騰しています。製造業の分野でも、化学肥料の原料や半導体生産に使う希ガスのネオンはロシアとウクライナ両国の生産シェアが高く、世界中に影響が広がっています。

 仮に今回の事態を引き起こしたロシアの独裁的な政権が早々に退場し、穏当な政権が生まれたとしても、傷ついた信頼はそう簡単には回復しません。ロシアが信頼できるパートナーとして再び認知されるようになるには、相当の時間を要すると考えられます。

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 企業にとって大事なのはリスク管理です。自社の供給網や投資ポートフォリオがどんな地政学リスクを抱かえているかを丹念にチェックし、万一の場合は他からも調達できるようにする「ダブルソース化」などの手を打つ必要があります。それには当然コストがかかりますが、新たな現実に向き合うための必要経費と割り切るしかありません。商社のビジネスでも顧客への供給責任を全うするために、第2、第3のソースの確保が重要になります。

 悩ましい問題はいくつもあります。1つは環境問題です。西側がロシア産ガスへの依存を断つ場合、それを埋め合わせるための新たなガス田開発や液化設備への投資が必要になりますが、回収に20年以上を要する長期の投資となります。欧州を中心に「脱・化石資源」の旗印を掲げたままでは、長期のリスクマネーは供給されないと思われます。地球環境問題の工程表を一部手直しする必要があるのではないでしょうか。

 日本にとっては中国とどう向き合うかも大きな課題です。いわゆる人権問題や知的財産の不正取得については厳しく対応しないといけませんが、中国全体を世界経済から排除するのは難しいし、実際にそうした時の衝撃はロシアの比ではありません。米中二大国の間に立つミドルパワーとして、中国を世界につなぎ留める役割を日本政府や日本企業は果たすべきと考えます。

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米コロンビア大教授のアダム・トゥーズ氏の見解

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 世界には4層のケーキのように大きなリスクが重なり合っています。新型コロナウィルスは日常に復帰した米欧と、人流に障害が残るアジアの開きを生んでいます。2020年に米国は中国にハイテク戦争を宣言し、長い地政学的な混乱が始まりました。ロシアのウクライナ侵攻で予期せぬエネルギー市場の混乱が起き、核戦争の脅威は可能性は低いが起きれば損害が甚大なテールリスクになりました。さらにインフレがあります。主要7ケ国(G7)の中央銀行はそれぞれ違う課題に直面しシステム内で緊張を生んでいます。因みにテールリスク(Tail risk)とは、マーケット(市場)において、ほとんど起こらないはずの想定外の暴騰・暴落が実際に発生するリスクをいいます。



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 グローバリーゼーションの将来はどうでしょうか。再生不可能な損傷を負ったのでしょうか。劇的な貿易減少の悪循環に陥る1930年代のシナリオは除外すべきです。貿易は頑健であり、グローバル化は終わらないと考えます。再配置され、再設計されます。

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 だが1990年代のWTO体制、気候変動防止の条約のように、機構をよりどころにしたグローバル化は葬られました。もはや単一のグローバルなモデルは存在せず、違った要素のパッチワークになっています。それらは具体的なセクターや地域ごとの取り決め、長年のもと形成されたサプライチェーン(供給網)に基づくものです。

 米国が西側諸国をまとめて対中国の対立軸をつくれるかどうかは疑問に思います。バイデン政権はインド太平洋経済枠組み(IPEF)で東アジアとの経済連携の構想を出しましたが、具体的な肉付けがありません。米国の仲介能力が限定的になったことを誰もが知っています。一方の中国は過激な要求で自分たちのブロックを形成するかもしれません。米国では2022年11月の中間選挙で与党の民主党が議会の支配を失うと国内の統治は不可能になります。経済政策で自国優先を唱えるのは共和党も民主党も一緒です。もう彼らは貿易自由化を先に進められません。米国に期待することはできないのです。

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 それではどうすれば良いのでしょうか。競争力の高い豊かな国々が連合を組み、責任を担って懸案解決に動くことです。日本やドイツのような中規模だが重要なプレーヤーが歩み出ることが大切です。これこそ緊急に必要なことです。

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 中国と米国との経済的なデカップリング(分離)を単に否定できる段階ではもはやありません。だが米アップルのスマートフォンを分解すれば部品多くが中国から来ていることからわかるように、大規模な分離は困難を伴ないます。地球温暖化を中国と対話せずに語るのは無意味です。中国こそ最大の地球環境問題だからです。

 供給網では自国生産を進めるオンショアリングや供給元を再び自国に移すリショアリングの動きがあります。そこにインフレの問題が伴ないます。低効率の世界貿易は低成長と高コストを意味します。半導体の自国生産を促すために大国の財政資金が使われますが、多額の支出は局所的なインフレを引き起こします。

 因みに、オンショアとオフショアの違いは、生産拠点を自国内に持つことをオンショア、生産拠点を海外に持って行くことをオフショアと言います。また、一旦生産拠点を海外へ持って行ったものを再度自国に戻すことをリショアリングと表現します。

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 リショアリングがどの程度進むかは5年、10年単位の問題です。私はイエレン米財務長官が「フレンドショアリング」と呼ぶ形への収束を予想しています。信頼に足ると互いに確信する国々が地域単位で生産網を構築する姿です。より多くの供給源を確保し、緊急時に余力を残す努力が重要になります。


 コロナ禍、米中ハイテク戦争、ロシアのウクライナ侵攻、インフレといった諸問題の勃発が、グローバリゼーションを推進してきた従来のサプライチェーンの在り方を変えようとしていますが、皆さんはどう対処しますか。



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